三井の歴史 [大正・戦前期]

三井の
「ドル買い事件」

執筆・監修:三友新聞社 / 画像提供:三井文庫

第一次世界大戦による好景気で日本経済が大きく成長を遂げた大正時代、三井財閥からも大正海上火災保険、三井信託、三機工業、東洋レーヨンなどの企業群が誕生し、三井は手掛ける業種の範囲を広げていった。

しかし、大戦終了後は日本の輸出も激減。戦後恐慌に加え、関東大震災の発生、昭和に入ると銀行の取り付け騒ぎが起こるなど、いわゆる「昭和恐慌」となり、中小企業の倒産や農村女児の身売りが深刻化していた。

事件当時、三井銀行筆頭常務だった池田成彬

財閥に対する風当たりも厳しくなる中で、三井が世間の攻撃の矢面に立たされた事件が昭和6年の「ドル買い事件」である。

民政党は当時、禁止されていた金輸出の解禁(金本位制度)を公約に掲げた。金解禁とは、金の輸出入禁止を解除し、為替レートを金の価値に合わせるものである。制度下では金貨はその含有量によって換金できた。かつては世界各国とも金本位制をとっていたが、第一次世界大戦を契機に自国の金を温存しようと輸出を禁止。この頃は再び各国とも金本位制に復帰しており、日本は世界経済に出遅れていた。

昭和4年(1929)に成立した浜口雄幸内閣は「金解禁で為替相場が安定すれば貿易が伸び、国際収支が改善される」と説き、昭和5年(1930)、金解禁を断行。だが、期待に反して貿易は一向に伸びず、輸出は解禁後に年々低落し、昭和4年から6年までの3年間で47%も減少した。不況に苦しむ企業は合理化を進め、労働者数や賃金を引き下げ、大学卒の就職率も低下した。

昭和6年、イギリスが金本位制を停止し、1カ月後にカナダも同調。再禁止となれば、円相場が下がり、米ドルなどの外貨が高騰する。イギリスが金輸出禁止をしてからのドル買いは1週間のうちに2億円を超え、三井銀行も横浜正金銀行から2,135万ドル(4,324万円)のドルを買った。このとき起こった世論の批判が三井の「ドル買い事件」である。

三井のドル買いに対し政府は、「三井財閥は金輸出再禁止を見越して、円売りドル買いをし、正貨準備の流出に拍車をかけた。これは売国行為である」と糾弾。新聞などもこれに追随し、一斉に攻撃を始め、三井財閥へ批判が集中した。中上川彦次郎の女婿で、三井銀行の実質的責任者だった筆頭常務・池田成彬(後の日銀総裁)は一言も釈明をしなかったので、非難の声は増す一方であった。

この事件は政府の金解禁の失策を財閥批判にすり替えたもので、実情は、三井銀行のドル買いは投機目的ではなく、自衛措置だった。三井銀行はイギリスの金輸出禁止に伴い、ロンドンに持っていた資金を凍結されるため、決済ができなくなるので、先物約定履行や電力外債利払いに備え、ドル買いを行っただけであった。池田は回顧録で「なんの変哲もない銀行の事務だと思っていた」と述べている。

本来、非難されるべきは政府であったが、巧妙に世論をミスリードし、財閥を悪者に仕立て上げたのである。

同年12月に政友会の犬養毅内閣が成立すると、金輸出は再び禁止され、株式・商品市場は大幅に下落。加えて東北地方の大冷害と生糸・米穀相場の暴落により、不況はさらに深刻なものとなり、民衆のはけ口は財閥に向けられることになる。

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