三井ヒストリー

三井の歴史を体現する、
後世に受け継ぐべき文化遺産の数々

三井が伝える美の伝統Ⅴ

(茶碗編)

三井記念美術館が所蔵している美術品は、中国の絵画や墨跡、陶磁器や漆器をはじめ、日本の古美術として日本画や古筆などの書跡、陶磁器、漆器、超絶技巧の工芸(能面、金工・牙彫、刀剣)など多岐にわたり、およそ4,000点に及ぶ。そのほとんどは北三井家をはじめとする三井各家からの寄贈によるもので、特に茶の湯に関するものが全点数の半数を超えている。今回は茶道具のなかから、国宝と重要文化財に指定されている貴重な「茶碗」を紹介しよう。

北三井家の茶道具

三井記念美術館が所蔵する茶道具のほとんどは、北家、新町家、そして室町家が日常の茶事に用いてきた諸道具である。

三井高利が江戸に三井越後屋を興して事業が発展し始めた頃、茶の湯は始祖千利休の没後百年の遠忌に向かい、武家のみならず商家でも盛んに行われるようになっていた。三井家においても、高利は一家が集まる「椀飯」の席で濃茶を点てていたと伝えられている。高利自身が所持していたとされる茶碗も残されているが、高利自身が積極的に茶の湯を嗜んでいたかどうかは具体的な史料がないため不明である。

当時、茶の湯の中心は京都における利休の血脈、すなわち三家に分かれた表千家、裏千家、武者小路千家であった。三井家は2代高平および3代高房の時代に表千家と親交を深めていったようで、総領家の北家から三井記念美術館に寄贈されたなかには表千家歴代の茶道具が多く見られる。

その後、十一家に制定された三井各家でも茶の湯は嗜まれ、江戸時代前期から近現代まで、茶の湯という文化を継承し続けてきた。特に北家においては、文化年間の6代高祐(1759~1838)の時代に茶道具の蒐集は膨大な数に及び、高平あるいは高房以来の表千家とのつながりの深さを連想させる。

室町三井家の茶道具

一方、室町家についても、初代高伴(高利四男/1659~1729)は北家の高平と同様に表千家の門下らに茶の湯を学んだと伝えられ、室町家は以後も代々茶の湯に親しんでいたようである。

江戸後期になると、室町家は経済的に厳しい状況となり、この時期にかなりの茶道具を手放したが、明治になって三井財閥形成期には再び充実し始めている。

北家の10代三井高棟とともに活躍した室町家10代高保(1850~1922)は、京都で表千家に学び、利休以来茶の湯のすべてを許すという、茶道界では最も格の高い許状「茶湯的傳」を授けられている。高保は明治29年(1896)、東京で鈍翁・益田孝や井上馨ら三井事業に関わる重鎮らが参加する茶事を催しているが、この茶事に向けても名器を蒐集している。

高保の茶道具の傾向は、利休以来の侘茶に徹するというよりは、江戸時代前期に小堀遠州(近江小室藩主で江戸初期の大名茶人)によって確立された、のなかにも明るさや静けさ、優雅さを示す「綺麗さび」の茶風に近い。

こうした点が北家の茶風とはやや異なり、室町家旧蔵の茶道具には利休所縁のものに加え、小堀遠州所縁の茶道具も多く含まれている。室町家から三井記念美術館に寄贈された茶道具の多くは、この高保の蒐集品である。

本記事では北家から寄贈された茶碗1点(重要文化財)と、室町家から寄贈された茶碗4点(国宝1点、重要文化財3点)を紹介する。

国宝 志野茶碗 銘卯花墻(しのちゃわん・うのはながき)

桃山時代・16~17世紀
高9.6cm 口径10.4~11.6cm 高台径6.0cm
室町三井家旧蔵

国宝指定の和物茶碗二碗のうちの一碗。天正・文禄の頃に美濃の大萱牟田洞(おおがやむたぼら)窯で焼かれたものと推定されている。器形は筒型に近く、大胆な箆(へら)削りを施して全体を歪ませるなど変化に富んでいる。釉の下には間垣の文様が描かれ、強烈な造形性と釉の景色が絶妙。箱蓋裏に貼られた小色紙には「やまさとの うのはなかきのなかつみち ゆきふみわけし ここちこそすれ」の和歌が書されており、箱蓋表の「卯花墻」の文字とともに片桐石州の筆とされている。かつて江戸の冬木家が所持し、室町三井家では10代高保が入手している。昭和34年(1959)国宝指定。

重要文化財 玳皮盞 鸞天目(たいひさん らんてんもく)

高7.0cm 口径12.7cm 高台径3.5cm
南宋時代・12~13世紀 中興名物 室町三井家旧蔵

中国山西省の吉州窯で焼かれた天目茶碗。釉調が玳瑁(たいまい/ウミガメの一種)の甲羅、すなわちベッコウに似ているところから名付けられた。見込(茶碗の内側)に描かれている文様は、中国の伝説の霊鳥「鸞(らん)」といわれる。格付けは遠州流の祖、小堀遠州の目利きで選ばれた中興名物。さまざまな人の手を経て大正6年(1917)に益田英作(鈍翁・益田孝の弟)の所有となる。室町三井家には益田家から譲られたと思われるが、時期や経緯ははっきりしない。

重要文化財 黒楽茶碗 銘雨雲(くろらくちゃわん・あまぐも)

高8.8cm 口径12.4cm 高台径4.9〜6.1cm
江戸時代・17世紀 本阿弥光悦作 北三井家旧蔵

本阿弥光悦(1558~1637)の名碗として知られ、光悦七種の一つに数えられている。光悦は刀剣の鑑定や研磨を本職とする上層町衆であるとともに、当時の京文化の担い手の一人でもあった。「雨雲」の銘は表千家6代覚々斎原叟によるものとされている。北三井家の所有になった時期については不明だが、6代高祐の代には「時雨」「雪峯」などとともにすでに所持していた。『高祐日記』によれば、享和3年(1803)10月11日の茶会に使用したことが示されている。

重要文化財 黒楽茶碗 銘俊寛(くろらくちゃわん・しゅんかん)

高7.8cm 口径12.7cm 高台径5.1cm
桃山時代・16世紀 長次郎作 室町三井家旧蔵

長次郎の代表作。柔らか味のある端正な姿にしっとりと落ち着いた黒い釉膚が調和し、優美な趣きが際立っている。銘の「俊寛」の由来については、付属の添状によれば、千利休が薩摩の門人の依頼で長次郎の茶碗を三碗つくらせて送ったところ、この一碗を手許においてほかの二碗を送り返してきた。そこで利休は薩摩に残った茶碗に鬼界ケ島に残された俊寛僧都を重ね、「俊寛」の銘を書き贈ったとされる。室町三井家に伝わった時期については不明。

重要文化財 赤楽茶碗 銘鵺(あからくちゃわん・ぬえ)

高7.9cm 口径11.3cm 高台径5.1cm
江戸時代・17世紀 道入作 室町三井家旧蔵

樂家三代の道入(どうにゅう、通称のんこう/1599~1656)の作。道入は茶碗の名手と呼ばれていたが、なかでもこの茶碗は「ノンコウ七種」の一つとして知られる。器形は大振りで薄づくり。「鵺」の銘は、覚々斎原叟が『平家物語』の源頼政鵺退治にちなんで名付けたもの。内箱蓋裏には、原叟の筆で「のんかうあか茶碗 号名鵺云」と記されている。数家を伝来した後に表千家が所有するが、明治24年(1891)に三井高保が譲り受けて室町三井家の所蔵となった。

写真提供:三井記念美術館
三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.57|2023 Winter より

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