三井記念美術館が所蔵している美術品は、中国の絵画や墨跡、陶磁器や漆器をはじめ、日本の古美術として日本画や古筆などの書跡、陶磁器、漆器、超絶技巧の工芸(能面、金工・牙彫、刀剣)など多岐にわたり、およそ4,000点に及ぶ。そのほとんどは北三井家をはじめとする三井各家からの寄贈によるもので、特に茶の湯に関するものが全点数の半数を超えている。今回は茶道具のなかから、国宝と重要文化財に指定されている貴重な「茶碗」を紹介しよう。
北三井家の茶道具
三井記念美術館が所蔵する茶道具のほとんどは、北家、新町家、そして室町家が日常の茶事に用いてきた諸道具である。
三井高利が江戸に三井越後屋を興して事業が発展し始めた頃、茶の湯は始祖千利休の没後百年の遠忌に向かい、武家のみならず商家でも盛んに行われるようになっていた。三井家においても、高利は一家が集まる「椀飯」の席で濃茶を点てていたと伝えられている。高利自身が所持していたとされる茶碗も残されているが、高利自身が積極的に茶の湯を嗜んでいたかどうかは具体的な史料がないため不明である。
当時、茶の湯の中心は京都における利休の血脈、すなわち三家に分かれた表千家、裏千家、武者小路千家であった。三井家は2代高平および3代高房の時代に表千家と親交を深めていったようで、総領家の北家から三井記念美術館に寄贈されたなかには表千家歴代の茶道具が多く見られる。
その後、十一家に制定された三井各家でも茶の湯は嗜まれ、江戸時代前期から近現代まで、茶の湯という文化を継承し続けてきた。特に北家においては、文化年間の6代高祐(1759~1838)の時代に茶道具の蒐集は膨大な数に及び、高平あるいは高房以来の表千家とのつながりの深さを連想させる。
室町三井家の茶道具
一方、室町家についても、初代高伴(高利四男/1659~1729)は北家の高平と同様に表千家の門下らに茶の湯を学んだと伝えられ、室町家は以後も代々茶の湯に親しんでいたようである。
江戸後期になると、室町家は経済的に厳しい状況となり、この時期にかなりの茶道具を手放したが、明治になって三井財閥形成期には再び充実し始めている。
北家の10代三井高棟とともに活躍した室町家10代高保(1850~1922)は、京都で表千家に学び、利休以来茶の湯のすべてを許すという、茶道界では最も格の高い許状「茶湯的傳」を授けられている。高保は明治29年(1896)、東京で鈍翁・益田孝や井上馨ら三井事業に関わる重鎮らが参加する茶事を催しているが、この茶事に向けても名器を蒐集している。
高保の茶道具の傾向は、利休以来の侘茶に徹するというよりは、江戸時代前期に小堀遠州(近江小室藩主で江戸初期の大名茶人)によって確立された、寂のなかにも明るさや静けさ、優雅さを示す「綺麗さび」の茶風に近い。
こうした点が北家の茶風とはやや異なり、室町家旧蔵の茶道具には利休所縁のものに加え、小堀遠州所縁の茶道具も多く含まれている。室町家から三井記念美術館に寄贈された茶道具の多くは、この高保の蒐集品である。
本記事では北家から寄贈された茶碗1点(重要文化財)と、室町家から寄贈された茶碗4点(国宝1点、重要文化財3点)を紹介する。
写真提供:三井記念美術館
三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.57|2023 Winter より