コラム「三井を読む」

歴史を残し、伝え、
未来につなぐ三井文庫の活動

三井の修史事業

三井越後屋から始まる三井家業の歴史は、三井高利の子どもたちによって記録され始め、各年代の三井同苗に受け継がれてきた。その修史と史料の保存は、明治期には三井家編纂室、そして現代は公益財団法人 三井文庫に継承されている。今回はこの三井の修史事業と三井文庫の活動にスポットを当てていく。

江戸時代から続く
三井の経営史料保存

修史とは、歴史書を編修する(まとめ上げる)ことを意味する。三井は元祖・三井高利やその子どもたちによって事業を開始した当初から、業務におけるさまざまな規定などを文書として記録し続けてきた。享保期には帳簿類をはじめ、奉公人に対する規則、業務におけるさまざまな文書の作成や保管のルールも体系づけられ、整理されていたと考えられている。

享保期の重要記録保存箱

創業期の歴史にかかわる重要史料を保管した箱で、同じセットを三カ所に置く、と記されている。箱には高利の子どもたちの署名・捺印があり、彼らによる修史活動の成果がここに納められた

これらの業務書類は高利の子どもたちにより、三井家史および家業の歴史として改めて編纂、整理され、その作業は以後も同苗によって受け継がれていった。

明治維新以降、三井の企業組織は大きく変貌を遂げたが、それに伴い、修史事業も新たな局面を迎えることになる。

明治24年(1891)、維新後の三井家同族の履歴調査を行うために、当時三井銀行副長であった西村乕四郎がその任を命じられ、三井家の史料収集に着手。明治28年(1895)に史料整理の実務を担う「伝記取調掛」が設けられ、翌29年にはその成果として『三井家奉公履歴』が刊行された。

永除諸帳面

大坂両替店で永久保存に指定された帳簿の管理台帳。「永除」は永久保存という意味。書類のシリーズ名と収録年代が列記されている。下に捺された印は、定期的に帳簿の所在を確認していたことを示すもの

本格的な修史事業の開始

ただ、維新後の三井家同族の履歴調査は、三井の歴史全般を俯瞰してみれば断片にすぎない。そこで明治36年(1903)、三井の修史事業を恒常的に行うことを目的として、三井家同族会事務局内に「三井家々史及事業史編纂方」が設置された。これは当時の同族会議長・三井高棟の発議による。その仕事場として当時日本橋駿河町にあった旧三井本館内の一隅があてがわれ、三井家編纂室と呼称されたが、これが現在に至る三井文庫の起源となっている。

三井家編纂室の最初の仕事は、各地に散在する三井家関係史料の収集・整理と、「三井家史料」の編纂である。まず取り組んだのは、三井十一家それぞれの歴代当主の伝記史料編纂であった。編纂を終えた文書を速やかに印刷物とするため、旧三井本館構内には専属の印刷所が設けられた。そして、明治42年(1909)9月の三井高安300回遠忌に合わせて「第一稿本三井家史料」84冊を完成させ、三井家の祖霊を祀る顕名霊社に特製本を奉献。同年11月に仮製本した同書を三井十一家に配布した(「第一稿本」は現在三井文庫閲覧室で公開されている)。

翌明治43年(1910)2月には、この「第一稿本」を素材として三井家の家族史と事業史の編纂計画が立てられ、最終的にはそれらを統合した「大三井家史」の編纂を目指すこととなった。これらの経緯のうちに、三井各家が所蔵する記録文書の重要性が三井同族や重役らに認識され、それが三井文庫創設の下地となっていった。

三井文庫の創設

旧三井本館の一隅で作業を行っていた「三井家編纂室」は、大正7年(1918)9月に荏原郡戸越(現品川区豊町)の三井別邸構内に新築された専用の建物に移転。これを機に、三井家編纂室は「三井文庫」と命名され、以後三井の修史と史料保存を行う組織として役割を担っていく。

三井文庫の事業の主たるものは、従来からの各事業史の編纂の継続、記録文書の保管・整理、両替店関係旧帳簿類の組織的分類整理などである。三井家史についても「大三井家史」の構想に基づいて執筆が進められ、また三井家および三井各社の依頼による調査、資料 収集、資料展示会なども行っている。その他、三井文庫では学術的価値のある諸文献の購入に意を注ぎ、各種の貴重な文献コレクションを収集した。

昭和14年(1939)頃には、所蔵史料と図書の合計が25万冊にも達した。戦時中は空襲により土蔵一棟が焼夷弾の直撃を受けたが被害は相対的に小さかった。その後、敗戦による財閥解体により、母体を失った三井文庫もその活動を停止するに至った。土地と建物は文部省に売却、所蔵する史料と図書は文部省史料館に寄託することとなった。

戸越「文庫の森」に現存する旧三井文庫第二書庫

平成25年(2013)、戸越の旧三井文庫跡地は「文庫の森」として開園した。現存する第二書庫は大正11年(1922)竣工。大正12年(1923)の関東大震災にも耐えた。初期の鉄筋コンクリート造建物の現存例のひとつとして建築史上でも貴重な建物。令和元年(2019)に国の登録有形文化財となった(三友新聞社提供)

現在の三井文庫とその活動

戦後長らく休止していた三井文庫を再発足させる構想が具体化したのは、昭和35年(1960)であった。

この年に開催された第一回三井文庫再建会議によっていくつかの再建方針が決定され、そのための具体的な準備が始められた。昭和39年(1964)10月に三井の関係会社による全体会議が開催され、翌年4月に財団法人三井文庫の設立許可申請書を文部省に提出。5月に設立許可が下り、財団法人としての設立登記を完了した。同じ年の7月には書庫ならびに事務所が竣工。9月には戦後文部省史料館に寄 託していた史料等の搬入が始まり、同月中に完了。ここに財団法人として新しい三井文庫がスタートし、修史事業が再開された。

そして平成20年(2008)の公益法人制度改革三法施行に伴い、三井文庫も法人としての形態を改めることになる。平成22年(2010)4月1日より法人名称を「公益財団法人 三井文庫」に変更し、現在に至っている。

現在、三井文庫は史料館としてさまざまな活動を行っているが、以下その内容を列挙してみよう。

①史料の整理と公開

史料の公開促進は、財団法人設立認可時の重要な要件で、定款にも明記されている。従来閲覧が許されなかった三井家の家政や事業史料が公開された意義は大きく、近世・近代の社会経済史研究に多大な貢献をしている。

②関係会社諸史料などの収集

現三井文庫発足後から三井関係各社に残る古い記録類や社史編纂史料などの調査・収集に取り組み、所蔵史料を補完・拡充。関係会社史料の散逸を防ぐ役割も果たしている。

③新たな「三井事業史」の執筆・刊行

「史料が語る 三井のあゆみ」

平成27年(2015)、三井文庫の財団発足50周年を記念して刊行された。同年に開館10周年を迎えた三井記念美術館で開催された特別記念展「日本屈指の経営史料が語る 三井の350年」の図録も兼ねる。三井記念美術館ミュージアムショップ等で購入可能(1,600円、税別)

旧三井文庫からの懸案事業。昭和46年(1971)から史料篇の刊行を開始し、昭和55年(1980)までに史料篇5冊、三井越後屋創業から大正時代までを記した本篇3冊が刊行された。その後、平成6年(1994)に三井合名会社の改組合併までを扱う本篇1冊、太平洋戦争期から財閥解体までを扱う本篇1冊が平成13年(2001)に刊行され、史料編5冊、本篇5冊の『三井事業史』が完結した。

また三井文庫の財団発足50周年を迎えた平成27年(2015)には、史料を通じて三井の歴史をコンパクトにまとめた『史料が語る 三井のあゆみ』を刊行した。

④研究雑誌の発刊

三井文庫研究員等の研究成果を公表する場として企画。昭和42年(1967)3月、『三井文庫論叢』の名で創刊号が発刊され、以降、毎年1回発刊されている。

⑤目録の整備

三井家編纂室時代から蓄積してきた目録のデジタル化を進めており、準備ができたものからWEBサイト上で暫定版を公開している。また分類目録13編をこれまでに刊行した。

⑥三井文庫別館と三井記念美術館の開館

三井各家より伝来の美術品等の寄贈を受け、昭和59年(1984)に文化史研究部門(三井文庫別館)を併設。翌年に別館の開館式を行い、国宝・重要文化財などの名品を展示した「開館記念特別展」を開催。同部門は平成17年(2005)10月に中央区日本橋の三井本館に移転し、三井記念美術館を開設。数百年におよぶ三井家の歴史のなかで収集され、今日まで伝えられてきた日本・東洋の絵画・茶道具・工芸品など貴重な文化遺産を収蔵し公開している。

以上、現在の三井文庫に至る三井の修史事業と活動を概略した。三井文庫は企業史料の宝庫ともいえ、その研究成果は歴史学会においても常に高い評価を受けている。

写真提供:公益財団法人 三井文庫
三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.47|2020 Summer より

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