三井ヒストリー
三井の歴史を体現する、
後世に受け継ぐべき文化遺産の数々
三井が伝える美の伝統Ⅲ
(超絶技巧編)

伊勢海老自在置物
高瀬好山製 明治~昭和初期
銀でつくられた伊勢海老。トゲのある殻の部分は、金属の一枚板を円筒形に曲げ、トゲを裏から打ち出したり別材を嵌め込んだりして実物感を表現している。長い触角は前後に振ることができ、脚は関節で曲げることが可能。円筒形のパーツをつなぎ合わせた胴の部分も曲げ伸ばしができるようになっている。
【自在】 海老や昆虫を
かたどった可動式の置物
小動物などをかたどった置物で、その生き物の体の各部分を実物のように動かせる、いわゆる可動式のフィギュアを「自在」という。金属を加工する技に長けた甲冑師らによって江戸時代に生み出され、甲冑の需要が激減した幕末期以降に流行を見せた。
龍や鳥、魚、蛇、海老、蟹、昆虫などを本物そっくりにつくり上げるだけでなく、複数の金属パーツを組み合わせ、体の各部の複雑な動きが再現できるように工夫されている。精巧な自在置物は欧米でも称賛の的となった。
自在置物で最も多く見られるのが伊勢海老である。鉄でつくられた作品が多いなか、三井家が収集した高瀬好山作のそれは銀製であり、触覚や脚、胴体の各部分が可動する。またトンボ、蝶、蜂、カブト虫、クワガタ、カマキリ、バッタなど12種の昆虫がセットになった自在置物も大変貴重な作品。やはり頭や脚、触覚、羽根などを自由に動かすことができる。
【牙彫】 動物の牙、
特に象牙を用いた細工物
象牙細工は、江戸時代から小さな 根付(留め具の一種)の製作などで行われてきたが、明治になると大きな置物にも象牙が使用され、さまざまな牙彫が製作されるようになった。その多くは、象牙の素材そのものの白色を活かす作品である。
しかし、明治も末期になると象牙に着色を施した、より写実的な作品を手がける作者が登場する。大正から昭和戦前期に活躍した安藤緑山(1885~1959)による牙彫は、まさに超絶技巧と称されるべき一品といえよう。緑山は象牙で野菜や果物、貝などを彫り鮮やかな着色を施して、本物と見紛うばかりの出来栄えに仕上げている。
形や大きさ、質感はもとより、不規則にささくれた枝の切り口や、めくれ上がった茄子や柿の蔕の描写などからも、緑山のすぐれた観察眼と細部にまで神経を行き届かせた製作技術が見て取れる。

昆虫自在置物
高瀬好山製 明治~昭和初期
トンボ、蝶、蜂、カブト虫、クワガタ、カマキリ、バッタなど12種の昆虫を、銀や色付けした銅などでつくった自在置物。それぞれ頭や脚、触覚、羽根などが動かせる。作者の高瀬好山(1869~1934)は、明治26年(1893)に京都に工房を開き、国内外向けの自在や置物などの金工品を製造販売した。ただし、好山自身は実製作を行わなかったようで、経営者として工人を指揮し、商品の販売や経営に専念したという。

染象牙果菜置物
安藤緑山作 明治~昭和初期
安藤緑山による茄子、柿、無花果、仏手柑、蜜柑をかたどった象牙の置物。現物に忠実に彩色を施し、本物と見紛うばかりの真に迫った質感に仕上げられている。ただ、残念なことに緑山は後継者を持たず、着色法を一切秘密にしていたため、この技術は緑山一代で途絶えてしまったといわれる。緑山の牙彫の多くは天皇家や宮家、また三井をはじめとする財閥家など国内の富裕層に所蔵されていたことが知られている。

染象牙貝尽置物
安藤緑山作 明治~昭和初期
鮑、牡蠣、蛤、蜆、赤貝などを取り合わせた象牙置物。一つひとつの貝を彫って着色し、それぞれを金属製のネジや棒で接合。ひとかたまりの置物に仕上げている。薄板を重ねたような層をなす牡蠣の殻、鮑に付着した海草の表現には、完璧なまでの実写を追求する緑山の技巧がいかんなく発揮されている。

染牙彫田家人物置物
竹内実雅作 明治32年(1899)
茅葺き屋根の田舎家とそこに暮らす人物を、パーツを接合せず一本の象牙によって彫り表した置物。樹木の葉や結ばれた縄暖簾、いきいきとした人々の姿など、超絶的な技巧が凝らされている。竹内実雅(1875~1929)の作で、明治32年(1899)の東京彫工会第14回彫刻競技会で、三等褒状を受賞している。
写真提供:三井記念美術館
三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.41|2019 Winter より