江戸時代中期より、繁栄をきわめた三井各家は多くの美術品を収集し続け、そのバリエーションは多岐にわたる。今回はそのなかから美術的に価値ある雛人形のいくつかにスポットを当ててみよう。
三井記念美術館は、三井各家から寄贈されたさまざまな美術品を収蔵・管理し、折々に一般公開している。本コラム第33回では、そのなかから円山応挙作品をはじめとする貴重な絵画に触れた。それに続き、今回は三井各家が所有していた雛人形を紹介する。
雛人形は、ひとがた(人形)を川に流して厄払いする「上巳(旧暦3月上旬)の祓」を起源とし、そこに平安時代に貴族階級の女児の間で行われていた、宮中暮らしのママゴト遊び的な「ひいな遊び(雛遊び)」が合体して生まれたとされる。
紙でできていたひとがたは、人形作りの技術向上とともにより精巧に作られるようになる。また、雛人形はもともと穢れの清めや厄払いが起源であったことから、女児の健やかな成長や幸せを願って女児の節句に飾る風習が根付いていったといわれる。江戸期以降、上流階級の間で雛人形の需要は高まり、贅を尽くした作品が数多く生まれていった。
三井家が所有していた雛人形や雛道具の数々は、一流の職人が技術の粋を凝らして製作した、美術品としても大変価値あるものばかりである。ただ、すべてが夫人や娘のために三井家が特注したというわけではなく、そのなかには夫人が嫁入りの際に実家から持参した可能性のあるものも含まれている。
三井記念美術館が収蔵する雛人形・雛道具は、1992年に北家11代三井高公の逝去に伴い寄贈された美術品のなかに含まれていたもの、2003年に高公の娘である浅野久子氏から寄贈されたもの、そして伊皿子家10代当主・三井長生氏より2009年に寄贈されたものに大別できる。
今回は、そのなかから北家と浅野氏から寄贈された作品をいくつか紹介する。それぞれの特徴については写真解説を参照されたい。いずれも平安時代の宮中の雅やかな様子がうかがえる見事な出来栄えである。
写真提供:三井記念美術館
三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.37|2018 Winter より