三井のスポット

米山梅吉記念館
三井の重鎮・日本ロータリーの祖
米山梅吉の偉業を知る

三井銀行常務取締役や三井信託初代社長として活躍したほか、日本初のロータリークラブ「東京ロータリークラブ」を設立した「奉仕の人」米山梅吉。
「三井報恩会」初代理事長、貴族院議員としても数々の奉仕活動を行った彼の足跡を長泉町に訪ねる。

全国から愛された米山梅吉
故郷・長泉町に建つ記念館

「公益財団法人 米山梅吉記念館」は昭和44年(1969)3月、財団法人として静岡県長泉町に設立され、同年9月に記念館(旧館)を建設。長泉町は、米山が幼少期を過ごした土地であり、建設にあたっては全国のロータリークラブ、個人からの募金、三井信託銀行、三井銀行本店、三井信託銀行のOB会などからも寄附が寄せられた。その後、来館者の増加に対応するために、平成10年(1998)4月に新館を落成した。

新館は鉄筋コンクリート地上3階建てで、総面積1026㎡。1階にホールと会議室、2階に展示室が置かれている。第一から第三まである展示室はそれぞれ、米山の生い立ち、遺品、ロータリークラブの歴史の構成。特に第一展示室では、米山の銀行家としての活躍や、報恩会の事業の様子など、公私共に携わった活動を知ることができる。また1階ホールには、三井信託社長時代に実際に使用していた執務机と椅子も展示。年間約4000名の来館者が訪れている。

(左)1階ホールに展示されている三井信託社長当時に使用していた机と椅子 (右)米山梅吉肖像画

名を遂げたら後進に道を譲り
社会の奉仕事業に貢献すべし

展示を通してわかるのは、米山が常に社会奉仕に情熱を傾ける人物であったということだ。三井銀行常務取締役時代、訪米の折にロータリークラブの存在を知り、奉仕という理念にあらためて共鳴。大正9年(1920)に日本初の東京ロータリークラブを発足させ、初代会長に。46歳で「新隠居論」を著し、事業が成功し名を遂げたら後進に道を譲って社会奉仕に貢献すべしと説いた。言葉通りに三井報恩会理事長に就くと、同年に三井信託社長、三井銀行取締役を辞任している。

三井報恩会理事長として、ハンセン病・結核などへの助成、農村振興事業、学術研究・実験助成など、単に金銭的援助のみならず、必ず自ら現地に赴いたという。また私費を投じ、緑岡小学校(現在の青山学院初等部、ならびに幼稚園)を創立し、初代校長となった。

旧館は現在「米山文庫こども図書館」として活用され、地域の交流の場となっている。これは、平成22年(2010)4月29日に、長泉ロータリークラブ、米山記念館、長泉町の3者により実現したもので、昭和6年(1931)に米山が長泉小学校に図書館及び蔵書約1000冊を寄贈した「米山文庫」が元となっている。当時は満州事変勃発の年でもあり、「不況の波に人々が喘いでいたとき、この事業は氏の愛郷の精神の賜物であると共に、人々にとって明るい話題であった」とその由来にも記されている。 ぜひこの記念館に訪れ、米山の愛と奉仕の精神と、その生涯に想いを馳せたい。

三井報恩会 初代理事長も務めた米山梅吉

米山は三井報恩会(現・一般財団法人三井報恩会)の初代理事長を務めた。三井報恩会は昭和9年(1934)、三井合名会社からの3,000万円もの寄付金により設立。三井の莫大な資金を背景に学術、教育、医療、農村振興など幅広い分野で助成事業を実施した。現在、三井報恩会の運営は三井家から三井グループへ移管され、北泉学園、啓明学園、三井記念病院など三井財閥の歴史の中で設立された法人への助成を主体に活動を続けている。

第一展示室では、米山の生い立ちを紹介。銀行家としての活躍、報恩会の事業の様子など公私共に携わった活動を知ることができる。入り口では、米日ロータリーの祖であるポール・ハリスと米山梅吉の像が左右で迎える

第二展示室では、主に米山の墨跡、書簡、等を展示。愛用の品を通じて一個人としての米山梅吉、その人生に親しむことができる

第三展示室では、米山が創立に奔走した日本のロータリークラブの歴史を、貴重な資料とともに紹介。1階ロビーでは、米山関連の書籍やロータリークラブ関連グッズを購入することもできる

INFORMATION

米山梅吉記念館

[所在地] 静岡県駿東郡長泉町上土狩346-1

[URL] https://yoneyama-umekichi.jp/

[アクセス] JR三島駅(北口)よりタクシーで5分
東名高速道路 沼津I.C.から約15分
新東名高速道路 長泉沼津I.C.から約10分

[開館時間] 午前10時~午後4時

[休館日] 月曜日、12月28日~1月4日ほか

出典:三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.58|2023 Spring より

バックナンバー