三井のスポット

鈍翁in西海子
旧三井物産を創設した益田孝の
文化人としての横顔

近代の三井の礎を築いた
大茶人の遺徳を偲ぶ

鈍翁を慕う庵主が創り上げた小さな展示館

日本の大変革の時代に旧三井物産社長や三井家同族会事務局管理部専務理事などを歴任した、優れたリーダーの一人が益田孝(1848 〜1938)である。益田は実業家であると同時に、茶の湯に造詣が深く、自らを「鈍翁」と号する茶人でもあった。

神奈川県小田原市には、そんな鈍翁の遺徳を偲ぶ、私設の小さな展示館「鈍翁in西海子」がある。ここでは鈍翁が使った茶器のほか、交流のあった政治家や実業家、文化人と交わした書簡、茶会の献立表、当時の写真など、鈍翁を身近に感じることができる品々が、季節に合わせて展示されている。

施設を運営する牧野紘一庵主の奥様は、当時鈍翁に仕えた人々の孫にあたる。祖父母から受け継いだ品に加え、自身でも鈍翁にまつわる品を買い集め、私財を投じて平成13年(2001)に開館した。

鈍翁は茶の湯の世界では、千利休以来といわれる大茶人で、日本の二大茶会である西の光悦会、東の大師会双方の初代会長を務めている。「鈍翁in西海子」には県外からも、茶の湯の関係者を中心に多くの来館者が訪れ、茶道具一つひとつに感嘆の声を上げているそうだ。

屏風に飾られた書簡や封筒

名だたる政治家や実業家、文化人と交流があったことがうかがえる。

内閣総理大臣原敬からの手紙の表書き

実業家・茶人としての足跡をたどる

益田は実業家として、総合商社・旧三井物産を設立し、現在の日本経済新聞の前身である中外物価新報を創刊。三井財閥の礎を築いただけでなく、近代日本の資本主義経済発展の指導者として明治以降の日本経済を発展させ、日本の近代史にその名を残している。

大正3年(1914)には、三井合名顧問から相談役に退いて小田原板橋の邸宅・掃雲台に移り、原三渓翁や畠山一清翁など当時の政財界の重鎮を茶の道に導き、多くの数寄者たちと交流しながら、茶の湯三昧の晩年を過ごした。小田原の発展にも力を尽くし、箱根の開発や企業誘致なども行った。小田原市の初代市長は鈍翁の次男、信世が務めている。

昭和13年(1938)に死去。約3万坪にも及んだ広大な掃雲台は今や跡形もなく、鈍翁の功績を知る人もまた、少なくなっている。牧野庵主は「三井や小田原の発展に尽くした鈍翁のことを、 少しでも皆さんに知っていただきたいと、展示館の運営を続けています」と話す。

鈍翁は美術品の収集家としても著名であった。鈍翁がかつて所有していたコレクションの中には、現在国宝に指定されている源氏物語絵巻(五島美術館蔵)など、貴重なものが多い。また古い仏画や仏像など、当時吹き荒れた廃仏毀釈運動の嵐による破壊から守られたものも少なくない。自身も書に堪能で、北大路魯山人に「あり余るほどの艶があってまれに見る能書である」と評された。

茶杓と筒と箱

茶杓は鈍翁作で、銘は松風。筒と箱までそろったものは貴重。筒には「こもれる庵にありある釜のにえ 千代をことほぐ松風のおと」の和歌と花押(サイン)が書かれている

文化人・鈍翁の横顔を彷彿とさせる品々

皇室から贈られた和歌

1933 年、大病をした際に、菓子とともに皇室から贈られた和歌。鈍翁の、皇室との親交の深さがうかがえる

鈍翁は青年時代、幕臣として文久3年(1863)、文久の遣欧使節団に加わり、上海や東南アジアを経由してヨーロッパにわたっている。晩年には、この時フランスで飲んだ紅茶の味を再現しようと、技術者をインドに派遣して、掃雲台の敷地内で紅茶を生産するほどだった。さらに、缶詰工場を建設してジャムまで作っ た。「鈍翁in西海子」では、当時のジャムの瓶に貼られていたラベルを現在も見ることができる。

皇室との親交も深く、自ら生産した紅茶を毎年献上していた。明治43年(1910)に、小田原を訪れた、当時皇太子であった大正天皇や山縣有朋らとともに写った記念写真が残っている。昭和8年(1933)、大病をした際には、皇室から見舞いに菓子と歌が贈られた。展示されている菓子箱からは、鈍翁への信頼が伺える。

実業界で辣腕を振るうのみならず、幅広い分野で才能を発揮し、文化や風雅を愛した益田鈍翁。牧野庵主は「この展示館にひとりでも多くの方にお越しいただき、お茶をされる方以外にも幅広く、鈍翁の活躍を知ってほしい」と語っている。

写真提供:公益財団法人 三井文庫

益田孝(1848〜1938)は、代々佐渡金山にかかわる地役人の家に生まれ、徳川政権末期には幕臣として青年時代を過ごした。慶応4年(1868)、徳川時代が終焉すると、武士をやめ商人を志す。横浜に移って、通訳やウォルシュホール商会のクラークなどを務めながら商取引を見聞した。この頃の井上馨との出会いがきっかけとなり、貿易事業に携わる。明治9年(1876)に旧三井物産を設立。私財を投じて中外物価新報(日本経済新聞の前身)を創刊し、自ら筆を執って解説・論説を行った。旧三井物産をはじめ、鉱山事業などで大きな成果を上げて三井財閥の礎を築き、明治の資本主義経済発展を牽引した人物として、日本近代史にその名を残している。

INFORMATION

鈍翁in西海子

[所在地] 神奈川県小田原市南町 2-2-17

[URL] http://www.post-ad.co.jp/donnou/

[アクセス] JR東海道本線小田原駅から徒歩20分

[営業時間] 10:00~17:00
※1月~6月は毎週水曜日、7月~12月は毎週火・水曜日が休館。4月30日・8月31日は展示替えのため臨時休館。

[入館料] 500円

※上記の内容は2018年10月15日時点の情報です。
出典:三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.40|2018 Autumn より

バックナンバー