三井のスポット

三井港倶楽部
旧三井港倶楽部から
「三井港倶楽部」へ

福岡県大牟田市かつての
「炭都」繁栄の象徴

明治時代の迎賓館を改修
「三井港倶楽部」として再出発

福岡県南部の街、大牟田。石炭資源に恵まれ、かつては三井三池炭鉱が一時代を築いた。現在も三井グループ各社が拠点を構え、三井グループとの結びつきが深いこの地に、かつての三井財閥が使用していた迎賓館「三井港倶楽部」はある。明治を代表する西洋建築の傑作といわれる優美な建物で、大牟田市指定有形文化財、経済産業省近代化産業遺産の指定を受けている。開館から100年余経った今もなお、この施設が結婚式場やレストランとして利用され現存し続ける理由は、大牟田の市民に愛されてきたからだ。

「三井」の名を残し後世に引き継いでいく

大牟田では今でも「三井」の名称が持つ意味は大きく、「旧」三井港倶楽部から三井港倶楽部に戻ったことに、地元からも大きな期待が寄せられている。施設の運営は三井松島産業グループで保養所などの運営で豊富な経験を持つエムアンドエムサービス(大阪市)が担う

明治41年(1908)の三池港の開港と同時に誕生した「三井港倶楽部」は、旧三井財閥の社交場、外国高級船員の宿泊所として活用され、昭和天皇や秋篠宮殿下などの皇族のほか、伊藤博文・井上馨など政財界の重鎮も訪れた。2004年に三井鉱山(現日本コークス工業)の経営難により閉館を余儀なくされたが、市民ら約3万人の署名が集まり、2005年から地元企業の経営者らが出資する「港倶楽部保存会」が運営を継承。大牟田市民の宝である同施設を「“旧”三井港倶楽部」として守り続けてきた。しかし、築100年を超える建造物の維持は費用負担も大きく、港倶楽部保存会は資産と事業の譲渡を検討。そして2017年、三井鉱山の出資を受けて創業した松島炭鉱を前身とする三井松島産業が「三井グループの成長の礎になった大牟田市や長年施設をご愛顧いただいた地域住民の方たちへの恩返し」の想いを持ちながら、「人と社会の役に立つ」という経営理念にも合致する社会的な意義を持つ事業として、資産を取得。経営のバトンが再び「三井」に渡ったことを機に、「三井港倶楽部」の名で2018年4月、リニューアルオープンした。

昭和天皇ゆかりの品々を展示した一室

昭和24年(1949)に昭和天皇が三井三池炭鉱三川鉱を巡幸された際には休憩で立ち寄られた。その際に使われた応接セットや、三川鉱での昭和天皇の写真など、ゆかりの品々が集められている

“鉄人”の監修によりリニューアルした料理

フレンチの鉄人・坂井宏行シェフの監修により、ランチ・ディナーすべてのコースがリニューアル。ランチは2,500円から楽しめ、由緒ある美術品や工芸品に囲まれながら味わえる

かつての趣を残しながら
文化遺産を次世代へ継承していく

三井松島産業は事業を継続するにあたり、内装材やカーテンを新装したほか、既存家具の修繕や既存調度品を活用したレイアウト整備を行った。また、結婚式やレストランとして利用される同施設の料理も一新。フレンチの巨匠、坂井宏行氏の監修によりランチ、ディナーが極上のメニューへと生まれ変わり、「素材、技、想い」を尽くした至福の味と極上のおもてなしが堪能できるようになった。

三井松島産業の井上晃治郎常務は「三井港倶楽部を当社が引き継いだことで、三井系の皆様からも『良かった』という声をいただく。リニューアルを機に、大牟田をはじめ、福岡県内や熊本からも多くの方に来ていただきたい」と期待を寄せた。

これからも三井港倶楽部は大牟田の宝として、多くの人に愛され続けていくことだろう。

リニューアル祝賀会を開催

リニューアルオープンに先立ち開催された披露祝賀会には、大牟田市長や三井三池製作所の平川幸知社長をはじめとした三井グループ関係者ら約80名が参加し、三井港倶楽部としての再出発を祝福。三井松島産業の串間新一郎会長は「大切な財産をしっかりと受け継ぐことが我々の使命」と決意を新たにした。

INFORMATION

三井港倶楽部

[所在地] 福岡県大牟田市西港町 2-6

[URL] https://www.mitsui-minatoclub.com/

[アクセス]
JR/西鉄 大牟田駅より車で8分
有明海沿岸道路 大牟田ICより車4分

※上記の内容は2018年4月27日時点の情報です。
出典:三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.38|2018 Spring より

バックナンバー