三井百科・百景

100年以上
「慈善の精神」を貫く
三井記念病院

2011年に建替工事が全体竣工した三井記念病院

「社会福祉法人三井記念病院」は、明治39年(1906)、三井総領家当主第10代・三井八郎右衞門高棟をはじめとする三井家の100万円(現在の金額では10億円以上ともいわれる)の寄付により「財団法人三井慈善病院」として設立された。社会保険や生活保護のない時代に生活困窮者のみを無料診療する民間唯一の病院として明治42年(1909)に開院した。

開院した地は現在の東京都神田和泉町で、この地が東京帝国大学(現東京大学)医科大学附属第二医院跡だった関係で、同医院の医師による高度な医療を提供し、連日、外来患者で病院はあふれ、評判を聞きつけ、中には古着姿で生活困窮者を装って受診しようという人もいたほどだったという。

その後、関東大震災での火災による被害はなかったが、東京大空襲では建物が全焼。大空襲の中でも入院患者の避難に尽力し、焼け残った建物を改修して、昭和22年(1947)に診療を再開した。

昭和45年(1970)に、三井各社の支援により近代的な高層病院への建替が行われ、今日の高度医療を担う新病棟が完成した。

平成18年(2006)に設立100周年を迎え、その記念事業として三井各社の支援により、医療活動を続けたまま新たに入院棟・外来棟を建設し、平成23年(2011)9月に全工事を終え、最先端の診断部門、高次の手術部門など病院機能が強化された。

地域との医療連携、JCI受診準備、国際化対応など、医療の質の向上に努め、「患者とともに生きる」をモットーに、創立時の「慈善」の精神を貫く医療を行っている。

(2016年10月20日掲載)

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