三井の歴史 [現代期]

三井の歴史と
精神を受け継ぐ

執筆・監修:三友新聞社

日本橋のランドマーク「日本橋三井タワー」

時代は昭和から平成へと移り、バブル崩壊以降は業界再編が加速し、三井各社もそれぞれ変遷を遂げる。二木会加盟会社では王子製紙が神崎製紙、本州製紙と合併、日本製紙は大昭和製紙との合併を経て、持株会社・日本製紙グループ本社を設立。小野田セメントは秩父セメントと合併し太平洋セメントに、三井石油化学工業と三井東圧化学からは三井化学が誕生した。

三井系と住友系の結びつきが強くなるもの平成に入ってからである。戦後、三井船舶と大阪商船の合併により三井・住友系海運会社となった大阪商船三井船舶はナビックスラインを加え、社名を商船三井に改称。三井建設は住友建設と合併し、三井住友建設が新たに発足した。三井銀行は太陽神戸三井銀行、さくら銀行を経て三井住友銀行に。三井海上火災保険は三井住友海上火災保険となった後、さらに損保2社が加わりMS&ADインシュアランスグループホールディングを発足させた。三井信託銀行は中央三井信託銀行から住友信託と合併し、三井住友トラスト・ホールディングスが設立。越後屋を祖とする三越も近年、伊勢丹との経営統合を果たし、メガ百貨店・三越伊勢丹ホールディングスとなった。また、この間に北海道炭礦汽船と三井鉱山がグループから姿を消した。

こうした激しい企業再編の動きの中でも、三井グループ各社は三井の絆を守りつつ、他グループの歴史も共有した企業集団に発展している。

三井の本拠地・日本橋室町では三井不動産が「日本橋再生計画」を推進、平成17年(2005)には三井系企業が多く入居するランドマーク「日本橋三井タワー」が竣工した。同年、隣接する重要文化財・三井本館7階に三井グループ各社の出資による「三井記念美術館」がオープン。同館が所蔵する三井家ゆかりの美術品は、茶道具、絵画、書跡、能面、能装束、拓本、刀剣、調度品など、約4,000点と切手約13万点に上る。そのうち、国宝に指定されているものが6点、重要文化財が71点、重要美術品は4点。このほか、優れた美術品が多数含まれている。

重要文化財・三井本館内に開館した三井記念美術館

昭和45年(1970)に建替えられた三井記念病院は建物の老朽化に伴い、総事業費230億円をかけ平成20年(2008)、19階建ての新病棟に生まれ変わった。翌年には7階建ての新外来棟が完成。三井グループ各社の支援により、21世紀にふさわしい医療を提供している。

三井高利が江戸に三井越後屋呉服店を開いてから330年余り、三井の先人たちが残した教えと精神は歴史とともに今も三井グループ各社へ受け継がれている。

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