三井ヒストリー

三井の歴史を体現する、
後世に受け継ぐべき文化遺産の数々

三井が伝える美の伝統Ⅶ

(書跡編)

江戸時代の1600年代後半から昭和初期に至るまで、繁栄を極めた三井各家は約350年にわたってさまざまな美術品を収集してきた。そのバリエーションは茶道具を中心に絵画、書跡、刀剣、能面や能装束、染織品、調度品、人形、また切手など多岐にわたる。本記事でもかつて絵画や金工、茶碗、雛人形などを紹介しているが、今回は書跡に着目し、国宝をはじめとする貴重な品々を見ていきたい。

三井記念美術館収蔵の
価値ある書跡

書跡とは「拓本」「経典」「古記録・典籍」「古筆」「墨跡・消息」のこと。形態としては掛軸や巻物、手鑑帖、扁額、金石文などがある。

「拓本」は木や石などに刻んだ文字や文様を紙に写し取ったもの。「経典」は仏教の教えや教義を記したもので、「古記録・典籍」は中国や日本の古い書、また仏典などのことをいう。

「古筆」については、主に平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた和様書道の優れた作品を指す。内容的には和歌が多くみられることから、仮名書きの流麗な書などが古筆の美術的な価値を高めている。現代に伝わる古筆は、古筆切と呼ばれる断片であることが多い。

そして「墨跡」は禅僧による書を指し、「消息」はいわゆる手紙のようなものといえる。

本記事では三井記念美術館に収蔵されている数々の価値ある書跡の中から、『熊野御幸記』(古記録)、『千利休消息』(消息)、『高野切』(古筆)、『虎関師鍊墨跡』(墨跡)の4点を紹介しよう。

熊野御幸記 【国宝】
藤原定家筆/紙本墨書/北三井家旧蔵/鎌倉時代・建仁元年(1201)
縦30.1×横687.0cm

後鳥羽上皇(1180~1239)は建仁元年(1201)、熊野参詣を行った。10月5日に京の鳥羽を出発し、紀州路をたどり、16~19日に熊野、新宮、那智の熊野三山を参詣して27日に帰京したとされる。『熊野御幸記』は、このとき上皇に随行した歌人の藤原定家(ふじわらのていか、1162~1241)が巻物に認(したた)めた旅日記で、三井家には井上馨の所有を経て伝わった。上皇の熊野御幸を知る貴重な記録として、現在は国宝に指定されている。本作は近年になって文化庁で修理が行われているが、そのとき裏紙を外したことにより、巻物の裏側にも記録のあることが見つかった。これは定家が持参した紙が旅の途中で足りなくなったことを意味し、これで実際に旅の最中に書かれたものであることが確定的となった。ちなみに、藤原定家は『小倉百人一首』の撰者の一人。歌人としては百人一首97番の「来ぬ人を 松帆の浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」の歌が知られている。

千利休消息(卯月廿二日付 瀧本坊宛)
千利休筆/紙本墨書/北三井家旧蔵/桃山時代・天正18年(1590)
縦15.1×横67.8cm

茶人の千利休(1522~1591)は、豊臣秀吉が小田原北条攻め(天正18年/1590)を行った際に従軍しているが、そのときに石清水八幡宮の社僧、瀧本坊実乗(たきのもとぼうじつじょう)に宛てて出した消息(手紙)である。秀吉の動向や小田原城の様子とともに、末尾には「橋立の茶もゆかしとも思すなよ 泥水なれば飲まれざりけり」の狂歌が認められている。「橋立」とは「橋立茶壺」のことで、足利将軍家、織田信長、千利休と伝わり、秀吉が懇望したにも関わらず利休は大徳寺に托し、決して渡そうとしなかった因縁深い茶器である。当地では北条氏に身を寄せていた利休の高弟、山上宗二が秀吉の怒りを買って処刑され、翌年には利休自身も切腹を命じられるなど破局を迎えている。消息に綴られている狂歌には、秀吉に対する当時の利休の複雑な心境が吐露されているかのようだ。

高野切
伝紀貫之筆/紙本墨書/室町三井家旧蔵/平安時代・11世紀
縦25.9×横46.6cm

『古今和歌集』巻第一春歌上を書写した巻子(かんす、紙や布を横に長くつないで軸に巻きつけた書物)の断簡(だんかん、古文書などが一部分残存した切れ端)。『古今和歌集』は紀貫之(きのつらゆき)らの撰になる日本最初の勅撰和歌集で、『高野切』はその最古の写本とされる。安土桃山時代、高野山の木食応其(もくじきおうご)という真言宗の僧が豊臣秀吉から断簡を拝領したことで『高野切』と呼ばれるようになった。その書風から3種に分類されるが、この高野切は第1種に相当する。流麗で優美な筆致は格調高く、平安時代かな書の代表とされている。

虎関師鍊墨跡(花屋号)
虎関師鍊筆/紙本墨書/室町三井家旧蔵/鎌倉~南北朝時代・14世紀
縦84.2×横30.1cm

虎関師鍊(こかんしれん、1278~1346)は臨済宗の学僧。五山文学の代表者の一人であり、日本における仏教の歴史を初めて体系的に記録した『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』を著している。本作は唐子人物(清王朝中期に河南地方で作られた交趾焼の人形)が摺られた蠟箋(ろうせん、唐紙の一種)に「花」を大書し、その下に七言句が2行並んでいる。行間に「花屋号」と小書されていることから、「花屋」の号を持つ禅僧に与えたものと思われる。七言句は「自一枝親鷲嶺拈」「作成門戸脊梁尖」と綴られているが、これは釈迦の霊鷲山説法における「拈華微笑(ねんげみしょう)」の花を踏まえ、禅僧の悟境と一家の繁栄を讃嘆したものと考えられる。

三井記念美術館 展覧会スケジュール

特別展 魂を込めた円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―
2月1日(土)~3月30日(日)

国宝の名刀と甲冑・武者絵 特集展示 三井家の五月人形
4月12日(土)~6月15日(日)

美術の遊びとこころⅨ 花と鳥
7月1日(火)~9月7日(日)

開館20周年特別展 円山応挙 ―革新者から巨匠へ
9月26日(金)~11月24日(月・振休)

国宝 熊野御幸記と藤原定家の書
12月6日(土)~2026年2月1日(日)

開館20周年特別展 生誕1200年 歌仙 在原業平と伊勢物語
2026年2月21日(土)~4月5日(日)

詳細は三井美術館 公式ホームページにてお確かめください。
http://www.mitsui-museum.jp/

写真提供:三井記念美術館
三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.65|2025 Winter より

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