江戸期に日本屈指の大店であった三井だが、幕末においては存続の危機に陥っていた。しかし、優れたリーダーの才覚によってその危機を乗り切ると、新時代を迎えてさらなる発展の道を歩み始めていく。今回は、近代における三井の礎が築かれた幕末~明治の貴重な史料を紹介する。
優れた人材登用による繁栄への歩み
幕末の三井は事業の不振に加え、幕府から預かった資金の運用失敗などで存続も危ぶまれる危機に陥っていたが、外部から登用した三野村利左衛門の働きで救われる。やがて三井の重鎮となった三野村は、維新後も新政府との関係を強め、国の「太政官札」発行事務や新旧貨幣の交換業務を受諾し、後年の三井銀行創立に至る道を拓いた。
三井銀行創立と同時に、益田孝らにより三井物産会社(旧三井物産)が発足。益田は旧三井物産を三井の主要事業に成長させた。また、三井は、官営三池鉱山の払下げを受け、團琢磨の指揮のもと、三井三池炭鉱を日本最大級の炭鉱に発展させた。外部から招聘され、経営が悪化した三井銀行の再建を託された中上川彦次郎は、さまざまな改革で経営を建て直すとともに、工業化路線を推進。現在の三井グループにつながる企業を傘下におさめていった。江戸時代の三井の奉公人は12~13歳から住み込み、叩き上げられていくのが通例であったが、幕末以降はこうした外部からの優れた人材によって三井は繁栄への舵とりがなされたといってもいい。そうした激動の時代における三井の史料も、公益財団法人三井文庫に保存されている。
①越後屋横浜店の設置 安政6年(1859)
②新政府への協力 慶応3年(1867)
③東京に事業の中心を設置 明治4年(1871)
④第一国立銀行の開業 明治5年(1872)
⑤呉服店を分離 明治5年(1872)
⑥日本初の私立銀行を設立 明治9年(1876)
⑦旧三井物産の設立 明治9年(1876)
⑧三池炭鉱払下げ 明治22年(1889)
⑨工業化路線と挫折
⑩三井家憲の制定 明治33年(1900)
- 法的には旧三井物産と現在の三井物産には継続性はなく、全く個別の企業体です。
写真提供:公益財団法人三井文庫
三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.30|2016 Spring より