三井ヒストリー
300年以上前に示された先進的なCI戦略
商いの大理想を
新たな店章に託して
三井の歴史は江戸時代初期から今日まで、数多の先達らによって営々と築かれてきたが、その間、このシンボルマークは、常に三井および三井グループの信用の源となっている。
CI(コーポレート・アイデンティティ)とは、いうまでもなく企業理念や特徴などを体系的に整理し、簡潔に示したもの。CIの目的を分類すると、社名やロゴマークなど視覚的な統一を図る(Visual Identify)、企業内部の一体感を醸成する(Mind Identify)、従業員が示す具体的な行動に独自の統一的特徴を付加する(Behavioral Identify)といった要素があるが、昭和も後期になって注目され始めたCI戦略の概念を、三井高利は「丸に井桁三」の制定によって300年以上前に先取りしていた。
三井越後屋の店章(暖簾印)として、「丸に井桁三」がいつから用いられてきたのか正確な年月は明らかではないが、延宝5年(1677)、高利が56歳のころではないかとされている。少なくとも、江戸店が本町から駿河町へ移転する天和3年(1683)より前であることは間違いない。
新しい店章制定の目的には、三井家の商売の理想を示し、店内の結束を強化し、他店との違いを明確にする意図があった。
三井高利が江戸本町に進出して呉服の三井越後屋を始めたとき、近隣には豪商と呼ばれる多くの既存呉服店があったといわれる。三井越後屋は創業数年にして事業を軌道に乗せてはいたが、そのようなライバルたちの中でさらに発展を遂げていくためには、新たな機軸も必要であった。そこで高利が着想したのが新店章の制定であった。
天・地・人の三才を示す
もともと三井家は、近江源氏佐々木一族の六角氏幕下に属する武家の出。そのため、三井家の家紋も佐々木氏と同じ「四ツ目結」であった。
高利の祖父三井高安が伊勢に移り住み、その子の高俊(高利の父)が商人となって松阪で酒屋の商売を始めたとき、この武家紋の「四ツ目結」を暖簾に用いた。高利も、越後屋呉服店の開店時には「四ツ目結」を引き継いだが、その武家紋を改めようというのである。
旧習を重んじる時代にあって、新たな店章を創始するなどは重大事であった。店の使用人全員が異議なくこれを受け入れるためには、店章そのものに権威や確固たる意義も必要であった。なおかつ、将来にわたる三井家の大きな理想と抱負を店章に表すには何がふさわしいのか、高利はその考案に苦心したことだろう。
伝承によれば、その思いはやがて母殊法の夢想となって現れたといわれる。実のところ「丸に井桁三」は、決して三井の二字を平凡に図形化したような着想ではない。
丸は天、井桁は地、三文字は人を表し、これらにより天・地・人の三才を示すという、すこぶる深遠な意味合いが含まれているのである。
紋章学のバイブルとも呼ばれる沼田頼輔博士の「日本紋章学」によれば、家紋選定の意義には名字の一字か二字をとったもの、名字にちなんだ図柄を用いたもの、その両者を併せ用いたものなど視覚的意義に加え、縁起のよさを示す瑞祥的意義、信仰に基づく宗教的意義があるという。
これら瑞祥的、宗教的意義の両方を含むものに、天地紋と八卦紋と呼ばれる紋様がある。天地紋とは円内に方形が描かれたもので、天地が広大無辺であることを示す。つまり、「丸に井桁」はまさに天地紋と意義を同じくする。
一方、三井の商道の精神は、(1) 天の時を得、(2) 地の利を占め、(3) 人の和を得るという、3つの要素をもって本義とする。天地の広大なことを、高利は井桁の中の「三」によって、三井の商いが広大な地域に及ぶことにたとえたともいえ、天・地・人の三才を丸と井桁によって包囲する紋様は、今日に至っては、図らずも海外に勇躍する三井グループの活動を表現したものとなっている。
さらに「三」の紋様は、八卦紋の中では健やかで剛健、活動的な意義を有する。ここから、「三」は単に三井の「三」のみならず、高利の商売の大理想を表示したものと解釈できるであろう。
三井商号商標保全会により「丸に井桁三」は厳正管理される
「丸に井桁三」は長い年月を経て、近代の三井各社にシンボルマークとして引き継がれていったが、昭和24年(1949)に使用禁止の危機を迎える。敗戦後、連合軍総司令部(GHQ)が財閥商号・商標の使用禁止令を発したからだ。
しかし、三井グループ各社はすぐさまそれに抵抗すべく、商号・商標の護持運動を活発に展開していった。やがてそれは奏功して禁止令は延期され、そして昭和27年(1952)、この政令は撤廃された。こうした護持運動を契機とし、昭和31年(1956)にグループ各社によって設立されたのが「三井商号商標保全会」である。
「丸に井桁三」の標章や「三井」、「MITSUI」の商号はグループ各社が共有し、その価値を培ってきたものだ。これらは正しく運用されなければならず、そのために現在は同会が運用上のルールを定め、厳正に管理・保全を行っている。
三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.4|2009 Autumn より