40周年記念スペシャルインタビュー 王貞治×野中ともよ

「三井ゴールデン・グラブ賞」は、
皆さんが思っている以上に
野球界に貢献していると思います。

「三井広報委員会40年史」

野中:さて今回は、今年で創立40周年を迎えた「三井広報委員会」が発行する記念冊子のためのスペシャルインタビューということでお越しいただきました。王さんは現役時代に「三井ゴールデン・グラブ賞」を9年連続で受賞され、現在も「三井ゴールデン・グラブ野球教室」などで三井グループとはいろいろと関わりを持たれているわけですが、実は私も、三井グループ各社の経営に参画したり、講演をさせていただいたりして、いろいろとお世話になっています。近くで見ていると、それぞれ個性の強い企業が集まっているので大変なことも多そうですが、チームワークを大事にして頑張っておられるなと感じています。王さんは三井グループにどんな印象をお持ちですか?

:そうですね。私はやはり「三井ゴールデン・グラブ賞」や「三井ゴールデン・グラブ野球教室」などで野球界を力強くサポートしていただいているという思いが強いですね。また、多くの人に夢と希望を与えてくれる取り組みを、経済状況などに左右されず長く継続していただいていることは、本当にありがたいことだと感じています。

野中:確かに。継続は力なり、継続はブランドなりですね。その「三井ゴールデン・グラブ賞」が始まったのがちょうど40年前。当時は、ダイヤモンドグラブ賞という名前でしたが、王さんは1972年から現役を引退される1980年まで9年連続で受賞されました。

:野球はどうしても「ピッチャーが投げてバッターが打つ」というところに目がいってしまいがちです。それに比べると守備は評価が低いというか、あまり注目されるものではありませんでした。アメリカでは1957年にグラブメーカーのローリングス社が「ローリングス・ゴールドグラブ賞」というものを創ったのですが、日本にはずっとそういったものがなくて・・・。それで三井グループがダイヤモンドグラブ賞を創ってくれたわけです。昔からプロの世界には、打つ方ではそれほど目立たないけれど守備は凄い!という職人タイプの人がいたのですが、この賞のおかげでその人たちが注目を浴びるようになり、俄然やる気になりました。だから野球界への貢献という意味で言いますと、皆さんが思っている以上に本当に大きいと思います。

野中:王さんからそんな話を伺うと、すごい賞だと改めて認識できます。

:私も川上(哲治)さんから厳しく鍛えられてはいましたけれど、第1回の際に表彰していただいて以来、「よし今年もしっかりやろう」と、より一層守備に力を入れてプレイするようになりました。実際、プロの試合では守備が勝敗を左右することが多いのです。この賞ができたおかげで観ている人もだんだんそういうことを理解してくれるようになったので嬉しかったですね。

勉強も大切ですが、子どもたちが皆と
苦しさや喜びを共有する経験が積めるのは、
やっぱりスポーツだと考えています。

野中:「三井ゴールデン・グラブ野球教室」についてはいかがですか? 最近、一番熱心に取り組んでおられるのが少年野球教室の活動だとお聞きしたのですが。

:これまで私は、野球を通して本当にいろいろな経験をさせてもらいました。野球のおかげで仲間がたくさんできて、彼らと感動体験を共有することができましたし、体も丈夫になりました。そうした自分の経験を野球教室の活動を通して、できるだけたくさんの子どもたちに伝えていきたいと考えています。もちろん勉強も大切ですが、やはり汗を流して、皆と苦しさや喜びを共有するような経験をもっと積んでもらいたいと思っています。そしてそれができるのはやっぱりスポーツだと考えています。

野中:「三井ゴールデン・グラブ野球教室」では、実は指導者の方に正しい野球知識や理論を取得してもらう機会を設けていらっしゃるそうですね。

:指導者の中には、個人的な経験だけで教えようとされている方が案外多いんですね。子どもたちは教えられた通りにやりますから、間違えたことを教えないように、我々は指導者の方たちに対してうまく教えていきたいなと思っているんです。熱意のある指導者の方はたくさんいらっしゃるので、後は正しい知識を身につけてもらえればと思います。

野中:王さんが関わっていらっしゃることもあって、元プロ野球選手たちが続々と講師役を引き受けてくれていると伺いました。

:ありがたいことです。やっぱりうまくできる人の姿をたくさん見たら違いますからね。少年野球の指導者の方たちにはそこで見たものを分かりやすい言葉で、野球をする楽しさも併せて子どもたちに伝えていってもらいたいですね。

本業で社会を良くしていこうというのが
これからの時代の社会貢献だと思います。

野中:野球教室といえば、今は「財団法人世界少年野球推進財団」の理事長として、世界各地から子どもたちを招いて少年野球教室や国際親善試合なども開催されていらっしゃいます。

:そういう機会や場をどんどんつくっていくことが、私をここまで育ててくれた野球界への恩返しなのかなと思っています。それを社会貢献というのも何ですが・・・。子ども同士というのはとても面白いものでしてね、自分が上手にできなかった時の記憶がまだ新しいからか、できない子どもにすごく優しいんです。皆思いやりがあって初心者の子どもたちに一生懸命教えようとする。そしてできない子どももそれを素直に受け入れるんです。国が違っても言葉が違っても同じ。ずっと前からの友だちのように野球を教え合うんですよね。

野中:この財団も1990年から活動されているのですね。

:ええ、今年で22回目を迎えました。いろいろ失敗もありましたけれど、何とか続いていますね。「世界少年野球大会」というのをやっているのですが、1年かけて準備して、たった10日くらいで終わってしまう催しでして、正直言って大変なことだらけなのですが(笑)。だけどそんな辛さが全部吹っ飛んじゃうくらい子どもたちの笑顔が良いのです。最初はホームシックにかかって「家に帰りたい」と言っていた小さな子どもが、1週間経つと「みんなと離れるのはイヤだ」って言い出したり(笑)。ああいう姿を見ると、また続けていきたいなと思いますね。ちょっと大げさかもしれないけれど、やはり子どもの笑顔は世界の宝だと思うので。必ずしも野球でなくていいのですが、スポーツで汗を流しながら、学校や家ではなかなか教わることのできないことを学んでもらいたいなと。

野中:最近は徒競走でも順位をつけない学校があったりするようですけれど、やっぱり勝ち負けがある中でしか学べないこともたくさんあるわけですしね。

:世の中に出てからもまったく競争しなくていいのだったらそれでもいいのでしょうが、やっぱりそうではない部分もあるわけで、だったらやはり小さい頃から勝つ喜びとか負ける悔しさみたいなものも経験しておくことは大事なのかなと思います。あと野球にはルールがあって、ルールには絶対に従わなくてはいけません。そういうことを子どものうちに、楽しみながら自然に覚えられるのもとても素晴らしいことだと思います。それと子どもというのはちょっとした体験でガラっと変わるじゃないですか。この変化を見るのが実は結構楽しみでして。大人たちも何とか気づかせてやろうと思って必死になって取り組んでくれています。

野中:私も最近まで経営者の立場でいろいろ取り組んできたことがあるのですが、例えば、電機メーカーで『Think GAIA』というヴィジョンを創りました。未来の子どもと地球が喜んでくれる商品を世に出そう、というものですが、太陽光でも2000回近く充電できて廉価な電池が生まれました。途上国では電池が分別されることなくポンポンと捨てられていて、それが土壌汚染に繋がって作物をダメにしてしまっている。その国では、ずいぶんとお役に立っていると情報を受けています。環境保護の視点で立ち上げたプロジェクトだったのですが、それが売れに売れたのですね(笑)。そのとき電池を開発した技術者の方が、お子さんが書いた作文を持って私のところにやってきたんです。そこには「うちのお父さんは地球防衛軍です。地球の未来のためになる電池を開発したら、それがとっても売れて、お母さんも喜んでいます」と書いてありました。それを技術者の方がとっても嬉しそうに話すんですよ。それまではとにかく売上をあげればいいと思って邁進してきたような人たちが、ちょっと考えを変えてくれて・・・。先程の王さんの話もそうですし、「三井ゴールデン・グラブ賞」のような取り組みもそうですけれど、王さんがまさに野球を通して実践されているような、本業で社会を良くしていくというのがこれからの時代の社会貢献だと強く思います。

:そうですね。まだ気づいていない人に気づいてもらう。気づいてくれないようだったら、そのための手段をもう一度考えて再度トライする。私も野球教室などを通し、自分が経験したことを伝え、社会に役立つことができたらいいなと思っています。私の場合は野球の楽しさを伝えるということでそれをやっているわけですけれど、子どもたちを育てるというのはまさに典型的な例で、子どもたちが変わるきっかけや人がやる気になるきっかけを、40年にわたってつくり続けてこられた「三井広報委員会」の方たちの取り組みは本当に意義があるものだと思います。

こちらから積極的に伝えようとしない限り伝わらない。
広報というのは、世の中の人たちと繋がるための
重要な役割を担っているんです。

野中:いま「三井広報委員会」の話が出ましたが、企業の広報活動について何かアドバイスはございますか? プロ野球の世界でも広報はとても大事な役割を担っていると思いますが。

:正直言うと、我々が現役だった時は広報なんて必要ないと思われていた時代でした。「観に来たい人は観に来るよ、テレビも勝手に放送してくれるよ」って考えている人がたくさんいて、私たちはそういう時代に野球をやっていました。でも今は明らかに皆の意識が変わりましたね。こちらが伝えようとしない限り思いは伝わらないということが分かってきた。だから自分たちから積極的に伝えていかないといけない。選手たちがいくら良い仕事をしても、良い伝わり方をしなければ何にもなりませんからね。ですから広報の方たちは、自社と世の中の人たちを繋ぐ重要な役割を担っていることを常に意識しながら活動されるのが大事なのではないでしょうか。

野中:おっしゃるとおりだと思います。三井グループのような巨大な組織では、グループ企業の中で、相互に人材が行き来するような関係を構築すれば、さらに企業力が高まるとも思います。これからの時代はそういったグループ企業の人材交流を後押しするような、グループ内広報の仕事も大切になってくるのではないでしょうか。

それぞれの会社や人が異なる役割・専門分野に
ついてしっかり考え、トップがそれらをうまく
結び付けて良い形にまとめあげていく流れが
できれば、素敵だと思います。

野中:三井グループの中には、重厚長大産業や鉄鉱石・原油などの資源関連、さらにはサービス産業、ロジスティクスなどといった、それぞれ業種も業態も違う企業が一つの名前のもとに集まっているわけですが、今日のようなグローバル市場で戦い、そして生き残っていくためには、それこそ野球のチームプレーのように、もっと企業同士が手を取り合って共に歩んでいくことが大切だと思います。そのあたり王さんはどのようにお考えですか?

:私はビジネスのことはあまりわからないので偉そうなことは言えませんが、まずはやはり、それぞれの会社や人が自分たちの専門分野についてしっかりと考えることが大切だと思いますね。後は全体を取り仕切る人が、それぞれをうまく結びつけて良い形にしていけばいいわけですから。無理に同質になろうとする必要はないと思います。例えば監督と選手では役割が違います。いま、私はフロントですが、それも役割が違う。全体としては一つのチームですが、役割分担は全然違う。それで良いのだと思います。

野中:お話を聞いていて、そういえば昔、祖母から、「働くということは“傍(はた)”を“楽(らく)”にすることだ」って教えられたことを思い出しました。つまりはグループシナジーを生かす方向で、各々の企業がもつコアコンピタンスを最大限に高めるのが重要だということですよね。

:私は今、福岡ソフトバンクホークス球団の取締役会長もしているのですが、このチームがうまくいっている理由はやはりオーナーの孫さんの采配が大きいです。我々にとっては本当に良き理解者でして、野球事業で出た利益は、すべて選手の補強であるとか施設の改善だとか、裏方さんたちの待遇を良くするために使ってくれる。「俺には一銭も持ってこなくていい」といつも言っているんです。つまり我々が自分たちのために頑張れば、それを観たファンの皆さんが喜んでくれる。そういうシンプルな環境をつくってくれているわけです。

野中:動員数も今ではパ・リーグの方がずいぶんと多くなりましたものね。

:ええ、我々が選手だった頃のことを考えると夢のような話です。私は選手時代もずいぶん良い思いをしましたが、こうしてもう一度、別の野球人生を味わうことができてこんな幸せなことはないですよ。

野中:グループがうまくいくかどうかはトップの力にかかっているから頑張れってことですね(笑)。

:いやいや、三井グループはトップがしっかりされているから、こういう「三井ゴールデン・グラブ賞」みたいなものもずっと継続してくれているわけでして。本当にありがたいことですよ。

野中:そうですね。続けていくこと、大事なものを次の世代に手渡していくこと。三井グループは確かにそういうところを大切にしていますね。それでは、王さん、最後に王さんの今後の夢をお聞かせください。

:そうですね。私は常々、今度生まれ変わったら音楽関係の仕事をしてみたいと思っていました。というのも野球は決まったルールの中でいつも同じことをやるでしょう。今度は全く決まりごとのないところで新しいものを生み出すような仕事をしてみたいなって。

野中:ピアノの鍵盤が壊れるほど練習なさりそう(笑)。

:思い立った時がスタートの時ですからね。

野中:人生で一番若いのは今日ですもの。三井グループプレゼンツでコンサートなどいかがですか(笑)。

:それはいいですね。あっ、でもそうだなぁ、もう一度ホームランを打つ時のあの感触も味わってみたいなあ。

野中:868回、いや練習の時も含めるともっとたくさん味わってらっしゃるのにまだ物足りない?

:もっと、もっと味わいたいです(笑)。

野中:そのためには練習もいっぱいしないといけないですけど。

:辛さは忘れるんですよ。でもあの感触だけはいつまでも忘れられないんだよなぁ(笑)。

インタビュー:2012年5月28日
記念パンフレット「三井広報委員会40年史」より