三井の特集

三井広報委員会
活動紹介パンフレット (7MB)
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世界を変える仕事で会おう。 Mitsui Mirai Meeting 2018

三井と魚

歴史に育まれた魚の文化

日本は、6800以上の島々から成る島国。国土面積は約38万km2で世界61位と決して広い方ではないが、海岸線の長さでみると世界6位となり、古来より広大な海の恩恵を受けてきた。また、南北に長い国土には山河が多く、起伏に富んだ地形も特徴的。山脈から川となり海へと流れていく水脈は、さながら血管のように日本の陸地を駆け巡っている。広域で水の恵みを享受する独特な地理的条件は、日本の歴史や文化にも大きく関わっているといえる。なかでも独特なのが、魚食を中心とした食文化。魚を干して保存する手法は、奈良時代から行われていたといわれる。新鮮な魚は、刺身や昆布〆めなど生のままでも食す。特に「活け締め」は鮮度保存技術のなかでも高度なもので、魚の脊髄を破壊することで仮死状態にして腐敗の進行を抑える。魚の特性を知り尽くした先人の知恵と技術が、現在にも伝わっているのだ。

しかし近年、日本国内での魚の消費量は減りつつある。対照的に、世界に目を向けると寿司ブームや健康志向を背景に、魚食文化はじわじわと広まっている。今後は、魚の鮮度保持や加工、輸送技術に加え、養殖事業などの発展にも期待が寄せられている。

また、魚を愛する和の心は食だけにとどまらず、娯楽としての文化も育んできた。室町時代に中国から伝来した金魚は、江戸時代になると観賞魚として、庶民にも広く愛でられるようになった。金魚を描き込んだ浮世絵などが残されており、風流な娯楽として当時の人々の心を愉しませていたに違いない。

日本橋からはじまった魚文化の台頭、三井の繁栄

三井グループ発祥の地である日本橋。江戸時代には、魚食、そして文化の発信地としても栄えた。たとえば「日本橋魚河岸」は、摂津国(現在の大阪府)の漁民が、幕府に納めていた魚のあまりを市中に流したのがはじまり。これが現在の築地市場の前身となった。鮮魚だけにとどまらず、乾物や干物、魚をさばく刃物、河岸で働く人々の食事処なども誕生。一日に一千両もの巨額が動く市場として「芝居千両、魚河岸千両、越後屋千両」と、三越の前身である越後屋と並び称された。当時の賑わいを、「三越前駅」地下コンコースの壁面に設置されている絵巻「熈代勝覧」で鑑賞することができる。

豊かな水に恵まれた日本に息づく魚の文化。三井グループでも、魚食や鑑賞に関わる取り組みに加え技術力を活かし、生態系の保護や水産資源の保全をも推進している。本特集では、魚と三井グループの結びつきを紹介していきたい。

Column
熈代勝覧(きだいしょうらん)

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江戸時代の日本橋の風景を描いた、横幅12mを超す長大な絵巻。作者不明の作品で国外流出しており、1999年にドイツで発見された。三井越後屋の全景が描かれているほか、街を行きかう人々など活気あふれる江戸時代の一幕を知る貴重な資料でもある。

「三越前駅」の展示は実物の絵巻を拡大した複製