三井の特集

三井広報委員会
活動紹介パンフレット (5MB)
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世界を変える仕事で会おう。 Mitsui Mirai Meeting 2018

三井百科

江戸時代に持株会社、ボーナス実現

三井家事業の最初の統轄機関である「三井家大元方」の成立は宝永7年(1710)1月のこと。三井は現在で言えば持株会社(ホールディングカンパニー)ともいえる機関を300年以上前に実現していた。この大元方は明治42年(1909)の三井合名会社設立へと発展していく。

大元方は三井家の主要事業だった本店(呉服)、両替店、綿店の運営をそれぞれの各店に任せるのではなく、3店の元店を大元方が統轄することで、各営業店の経営状況等を全体として把握し、三井家の資産を分割することなく、一本化した形で管理運用することを可能とした。

京都油小路二条下ル二条油小路町に置かれ、月2回、1日と15日前後に会合が開催された。当初は京両替店から資金を借り入れ、本店をはじめとする各店に「元建」と呼ばれる資本金を配分、さらに運転資金も融通した。各家の生活費も支給した。これに対して各店には配当ともいえる功納と、融資の利息納入を義務づけた。剰余金は3年毎に行われる「三年勘定」と呼ばれた決算の際に、10分の1を幹部店員に賞与として支給したのをはじめ、大元方への納付、各家の生活費等にあてられた。この他、幹部店員の人事や功労のあった奉公人の退職金給付も管掌した。

これらにより、各店の創業期に功績のあった優秀な奉公人を店の運営にあたらせ、三井家の同族は所有と経営の分離を実現、さらに発展していく礎とした。奉公人の制度では役名(序列)を明確に示すことで、奉公人がさらに上の位を目指すよう意識を方向付けたことに加え、定期的なボーナス支給によりモチベーションを向上させたことなどは、優秀な人材を育成する上で、大きな役割を果たした。

こうした「人を重視する」仕組みを300年前に実現していたことも「人の三井」と言われるようになった理由のひとつである。