三井のスポット

大磯城山公園
三井家の軌跡に馳せる想い

国道1号線と東海道本線に挟まれる形で、大面積の敷地を持つ大磯城山公園。かつて三井総領家の別邸「城山」が構えられたこの場所には、現在でも歴史の深さを刻々と物語る施設が残されている。

歴史ある土地 姿を変えてもなお

一歩足を踏み入れると、空を仰ぐ広大さと溢れる緑に心を奪われる。園内には温暖な気候を物語るシイ、カシなどの常緑広葉樹が茂り、秋には緑に混じってもみじが朱を点じたように色づく。季節とともに移ろいゆくはかなさに、溢れる日本の美を感じずにはいられない。

緑道に差し込む木漏れ日に揺られながらさらに奥へ歩いていくと、拓けた全景に展望台が姿を現す。かつてこの地には、三井家の別邸「城山荘」が佇んでいた。三井総領家第10代当主・三井高棟がその情熱を注ぎ、独自の構想力と陣頭指揮により建設した城山荘は三井家を表すシンボルであった。昭和9年(1934)に完成し、昭和17年(1942)に一通りの建築工事が終了。高棟の想いによって全国の高名な28の社寺の古材が使用されたため、荘厳でいて重厚感溢れる唯一無二の建築物となった。

玄関は葛井寺柱に浅草寺古材を加えた柱を配し、高宮寺扉を使用したエントランスが大勢の客人を出迎えた。その他、広間天井中央には旧三井銀行の3階大広間にあったシャンデリアを使用。丹精、工夫、そして遊び心がふんだんに織り込まれた内装は、実に巧妙で奥深い。高棟は、完成した造営物を眺めたり城山荘の自然を観賞しながら、この場所でのどかな散策を楽しんでいたようだ。

一方で、縄文時代に遺跡や横穴墓がつくられたことや、室町時代に小磯城が築かれたという史実も、その歴史的価値を象徴している。園内には、横穴墓群が今でも残されており、歴史的価値を脈々と今に伝えている。

かつての中門(公益財団法人 三井文庫所蔵)

じわりとにじむ歴史の余韻

展望台からそう遠くない場所に、建物群として唯一現存する「北蔵」がある。北蔵は、城山荘の一部として「東蔵」とともに昭和16年(1941)に建てられたもので、現在は「北蔵ギャラリー」として茶室「城山庵」とともに一般開放されている。城山庵は、織田信長の実弟で茶人であった高名な織田有楽斎が建てた武家風茶室建築の代表とされる国宝の茶室「如庵」を模したものだ。

財閥解体後には三井の手を離れ、長く放置されてきた土地ではあったが、公園化計画により平成2年(1990)に開園。城山荘を模した展望台からは広大な海を望むことができる。時代の移ろいとともに姿を変えながらも、深い歴史を繋ぎ、残しつづけている。

園内には、城山荘のかつての姿を表す立看板が設置してある

公園内の施設

大磯町郷土資料館

大磯周辺地域では、縄文土器や弥生土器、土師器などが発掘され、敷地内からは竪穴住居も発見されている。これらを常設展示として公開するとともに、大磯の歴史をさらに深く知ることができる企画展示も開催。本資料館は城山荘の一部をモチーフにしている。写真は入口付近に展示されている城山荘の構造模型。

茶室「城山庵」

千利休に茶を学んだ織田信長の弟、織田有楽斎が正伝院に建てた「如庵」を模した茶室。「如庵」は明治41年(1908)に東京今井町の本邸へ、昭和13年(1938)には三井高棟の手によって城山荘へ移築された。洗練された「城山庵」の日本庭園を眺めていると、古き良き時代の面影が浮かんでくるようだ。

北蔵ギャラリー

昭和16年(1941)に城山荘に接続する日本家屋「長松軒」の北側に建てられ、今なお残る唯一の建物。降鶴堂東側に建設された東蔵とともに、今井町本邸にあった茶道具や骨董を保管する蔵として使用されていた。荘重さをそのままに、現在はギャラリーとして一般開放されている。

城山荘について

城山荘本館東側(公益財団法人 三井文庫所蔵)

昭和9年(1934)暮れに完成した、建築家久米権九郎設計の木造建築。本館中央には「養老閣」と呼ばれる四層の塔屋があり、最上階の展望室からは富士や箱根、伊豆、相模湾を一望できるほどの大パノラマであった。28にもおよぶ社寺の古材を集めるという奇抜な発想と構想実現へのこだわりに、高棟の城山荘にかける情熱がうかがえよう。

INFORMATION

神奈川県立大磯城山公園

[所在地] 神奈川県中郡大磯町国府本郷551-1

[開園時間] 9:00~16:30(入園は16:00まで)

[アクセス] JR東海道線「大磯駅」から神奈川中央交通バス「城山公園前」

[URL] http://www.kanagawa-park.or.jp/ooisojoyama/

※上記の内容は2012年7月15日時点の情報です。
出典:三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.15|2012 Summer より

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