三井の歴史にまつわる施設
三井港倶楽部
執筆・監修:三友新聞社
明治41年(1908)、三池港の開港と時を同じくして誕生した「三井港倶楽部」。三井財閥の社交場、外国高級船員の宿泊接待所として活用され、昭和天皇や秋篠宮殿下などの皇族のほか、伊藤博文・井上馨といった政財界の重鎮も訪れた、大牟田における三井の迎賓館であった。

大牟田における三井の迎賓館「三井港倶楽部」
瀟洒な洋館が一般に公開されるようになったのは昭和62年(1987)。明治の趣きを残しつつ、結婚式場やレストランとして利用できる大牟田市の名所となった。
明治を代表する西洋建築の傑作といわれる優美な建物は、大牟田市指定有形文化財、経済産業省近代化産業遺産の指定を受けており、大牟田市の石炭産業の歴史を伝える貴重な遺産として、開館から100年を超える今なお、地元に親しまれ続けている。
閉館、3万人の署名で営業再開
平成16年(2004)、所有者であった三井鉱山(現日本コークス工業)が経営難に陥り、三井港倶楽部は閉館を余儀なくされた。一時は取り壊しも検討される事態となったが、大牟田市民からの保存を求める声が高まり、約3万人もの署名が集まった。そこで地元の経済界有志により、平成17年(2005)3月、三井港倶楽部保存会が設立される。
保存会は三井鉱山から倶楽部を取得し、「三井港倶楽部」として営業を再開。同年10月、保存会は港倶楽部保存会に社名を変更し、倶楽部の営業を続けながら、地域の誇りとして、歴史遺産を保護してきた。
三井松島産業が新たな所有者に
しかし、100年を超える建物は維持や修繕にかかる費用負担も増えてくることから、保存会は資産と事業の譲渡を決断。保存会の設立趣旨や地域の期待などを踏まえ、今後も事業を継続することを条件に譲渡先を探していた。
そこで手を挙げたのが、三井鉱山の出資により大正2年(1913)に創業した三井松島産業である。同社は「当社の母体ともいえる三井鉱山株式会社にゆかりの深いこの施設を、開館から100年余りの時を超えて当社が受け継ぎ、そして将来に亘って守り伝えていくことは、当社のみならず三井グループ全体の成長の礎である地元大牟田市や長年この施設をご愛顧頂いた地域住民の皆様への恩返しにも繋がるもの」であり、社会的意義のある事業として取得を決断。平成29年(2017)5月、両者は譲渡契約を締結し、資産は三井松島産業が所有。事業は同社グループのエムアンドエムサービスが運営している。
「旧三井港倶楽部」から「三井港倶楽部」へ
三井松島産業は、老朽化した施設を修繕するため、平成30年(2018)2~3月に一時施設をクローズ。内装材やカーテンの新装に加え、既存家具の補修や調度品を活用したレイアウト整備を実施した。
また、レストランの料理を一新。「フレンチの鉄人」坂井宏行シェフの監修により、ランチ・ディナーは最上級のメニューに生まれ変わった。レストランのほか、港倶楽部は結婚式場としても広く利用されており、「100年の歴史を刻む文化財ウェディング 100年続く愛の誓いを」というコンセプトのもと、リニューアルした施設で、より美しい思い出を提供する。
そして同年4月、三井松島産業は改装を終えた施設を、「三井港倶楽部」の名前を復活させ、リニューアルオープンした。名実ともに「三井」の施設となった三井港倶楽部には、地元地域や三井グループからの期待も大きい。開館110年の節目に大きな転機を迎え、三井港倶楽部は新たな歴史を刻んでいく。