三井の歴史にまつわる施設

三井越後屋京本店
記念庭園

執筆・監修:三友新聞社

越後屋の拠点といえば、江戸日本橋のイメージが強いが、一方で京都も今日につながる三井の発展を担った地であり、その名残は「三井越後屋京本店記念庭園」(非公開)でうかがい知ることができる。

記念庭園内部に足を踏み入れると、大きな鳥居が目をひく

江戸時代、京を根城に江戸に出店して商いをする「江戸店持商人」は、商人の理想であった。松阪で力を蓄え、江戸への出店を準備していた三井高利は、52歳にしてそれを実行に移す。以来、京都は商品仕入れや江戸に指令を発する三井の本拠地となっていった。高利は、延宝元年(1673)、江戸本町に越後屋呉服店を開くと同時に、京都に呉服物の仕入れ店を開業した。当時、高級な絹織物はほとんどが西陣の製品であり、京都はその西陣織や小間物の仕入れに便利なばかりか、長崎経由で輸入されてくる唐の生地、反物などもいったんすべて京都に運ばれ、売買が盛んだったからである。仕入れがうまくいくかどうかは経営を左右し、呉服店として飛躍していくためにはどうしても京都に拠点をおく必要があった。

京都で最初に店を置いたのは、室町通蛸薬師東側北寄りという地である。高利は京都と江戸それぞれの店を息子たちに当たらせ、開店直後は高利自身が京都に上って指揮をとった。経営が軌道に乗ってくると、当初の北寄りの借家では手狭となり、延宝4年(1676)に南寄りに仕入れ店を移した。さらに元禄4年(1691)には同町西側に家屋を買い、南寄りと西側の両店を京本店と総称した。

そして、越後屋がいよいよ大繁盛してくると、これらの店も手狭となり、宝永元年(1704)、室町通二条上ル冷泉町西側に家屋敷を購入して移転した。以来、江戸期ではこの地において京本店が存続していく。

周囲の近代的マンション群の中にあって古き時代を感じさせる

三越京都支店から記念庭園へ

その後、越後屋京本店は明治以降も三越京都支店として、昭和58年(1983)に閉店するまで存続し続けた。現在は三井不動産が記念庭園を築き、三井京都創業の地として保存伝承している。この地は三越京都支店として存続していたときは広さ950坪にも及んだ。同支店の閉店後、三井不動産が一部の68坪を譲り受けて記念庭園とした。

記念庭園の重厚な門扉には三井のシンボル「丸に井桁三」

記念庭園の重厚な門扉には三井のシンボル「丸に井桁三」、内部には越後屋京本店時代から三国稲荷大明神が祀られているなど、330余年に及ぶ三井京都創業の歴史を今に伝えている。

INFORMATION

三井越後屋京本店記念庭園

[所在地] 京都市中京区二条室町通二条上ル冷泉町(庭園は非公開)