三井の歴史にまつわる施設

三井文庫

執筆・監修:三友新聞社 / 画像提供:三井文庫

三井家史料の収集や調査などを行う研究機関「公益財団法人三井文庫」。100年以上前に始まったその活動は、現在も三井グループ各社の支援の下、続けられている。

三井文庫本館

三井家の修史事業が始まったのは、明治24年(1891)。断続的に作業は進められ、明治36年(1903)、「三井家々史及事業史編纂方」が設置され、恒常的に事業が継続されることになった。大正7年(1918)には荏原郡戸越(現品川区戸越公園)の三井家別邸構内に編纂室を移転した。これまで主に江戸時代の京都・江戸・大阪各店の帳簿類などを収蔵していたが、移転に伴い明治以降に設立された新会社の帳簿類も保管することになり、コンクリート3階建ての書庫と事務所を新築。「三井文庫」と改称し、ここに三井文庫が創立された。

空襲で貴重な史料を失う

三井文庫刊行物

太平洋戦争が始まると、日本の劣勢とともに本土空襲が懸念された。そのため、三井文庫では重要な記録類の一部を神奈川県大磯にある三井総領家の城山荘へ疎開させた。

果たして、昭和20年(1945)5月24日の空襲で事務所が全焼したほか、土蔵にも延焼。記録書類や越後屋の看板類、江戸時代の和算書など、貴重な資料が灰燼に帰した。

終戦後、三井財閥はGHQの指令により解体。母体を失った三井文庫は活動休止状態に入り、昭和24年(1949)、三井不動産は文部省から三井文庫の土地・建物を譲り受けたいと要請され、戸越の土地・建物は文部省に売却、収蔵品については文部省に寄託することとなった。

戦後の混乱も落ち着き始めた昭和30年代に入り、三井不動産・江戸英雄社長の提唱により、三井文庫再建が検討され、昭和39年(1964)、文部省と三井家との間に返還に関する覚書が交わされた。翌年には三井グループ各社の支援を得て、「財団法人三井文庫」が設立。東京都中野区上高田に書庫・事務所が竣工した。

展示部門は三井記念美術館へ

三井文庫では史料の閲覧や研究活動を行い、研究員の成果公表の場として年1回『三井文庫論叢』を発行。昭和46年(1971)から開始した『三井事業史』は平成13年(2001)に完結、その成果は学界から高い評価を受けている。また、三井家から寄贈された美術品などは国宝・重要文化財を含め約4,000点に及ぶ。

書庫の内部

昭和59年(1984)には三井文庫別館が竣工し、翌年から美術品の一般公開を開始した。展示活動は、平成17年(2005)、東京都中央区日本橋の三井本館7階に開館した三井記念美術館に引き継がれ、三井文庫は社会経済史・経営史関連事業、三井記念美術館は三井文庫の所管の下、文化史・美術館関連事業を行っている。

INFORMATION

公益財団法人 三井文庫

[所在地] 東京都中野区上高田5-16-1

[URL] http://www.mitsui-bunko.or.jp/