三井の歴史にまつわる施設

啓明学園

執筆・監修:三友新聞社

東京都昭島市で多摩川を眼下に望む高台に広がる「学校法人 啓明学園」。帰国生教育の草分けとして三井家が創設した学園は現在も海外生活を経験した多くの生徒が入学し、国際教育の一翼を担っている。

三井家別邸時代の面影を残す「数寄屋門」

明治34年(1901)、三井総領家第10代当主・三井八郎右衞門高棟の三男に生まれた三井高維はオックスフォード大学の研究生として海外生活を送った。帰国後の昭和15年(1940)、海外在勤者の子女教育を目的とした「啓明学園」を創設。11代当主で兄の高公から東京郊外にある三井家の拝島別邸・約3万坪を校地として譲り受け、寄宿教育を始める。高維は「広い視野のもと、豊かな人間性と独自の見識を持ち、世界を心に入れた人を育てる」との理念を提唱、国民教育が重視されていた当時の状況下で、海外経験のある子女を高く評価した。

東京都の指定有形文化財「北泉寮」

広大なキャンパスは三井家別邸時代の面影を多く残している。学園入口の「数奇屋門」や「伏見庭園」、さらに佐賀藩主で後に侯爵となった鍋島直大の大邸宅で東京都の指定有形文化財「北泉寮」が偉容を誇る。元々は鍋島侯爵邸として明治25年(1892)、千代田区永田町の旧首相官邸の場所に建てられ、関東大震災の後、三井高棟が買受け拝島別邸に移築。 その後、別邸を譲り受けた高維が「北泉寮」と名付けた。

東京都の指定有形文化財「北泉寮」

高維の妻・英子は三井11家のうち、旧三井物産社長の永坂町家8代当主・三井高泰の娘で、母には住友家第12当主・住友吉左衛門友親の二女・楢光を持つことから、三井総領家・北家の「北」と住友家の屋号「泉屋」を掛け合わせたもので、三井家と住友家の繋がりを今に伝えている。

造形は伝統的な大名屋敷を継承。座敷は書院造りとしながらも、洋風客室や食堂など明治の近代的なデザインも加味された折衷様式となっており、定期的に一般公開もされている。

高維の志を引き継ぐ

高維は昭和54年(1979)に死去、理事長は妻・英子が引き継ぎ、日米交換留学推進のための基金設立などに尽力した。北泉寮は老朽化に伴い解体も取り沙汰されたが英子の意向で取り止めとなり、彼女が死去した翌年の平成10年(1998)に文化財登録原簿に登録され、平成22年(2010)に東京都の指定有形文化財となった。現在、学園は幼稚園、初等、中学、高校で1,000名以上の生徒が在籍しており、帰国生の海外体験が生かされた教育が行われている。

INFORMATION

啓明学園

[所在地] 東京都昭島市拝島町5-11-15

[URL] http://www.keimei.ac.jp/about/history/