過去の活動

『三井グラフ』が三井広報委員会の
広報誌となる(1980~2005)

三井広報委員会発行となり最初の「三井グラフ」42号

1980年、三井広報委員会は三井物産が1970 年より発行してきた広報誌『三井グラフ』(季刊)を42号から引き継ぎ、グループ外へ向けてのPR誌として編集発行。三井グループの活動を広く一般の方に知ってもらい、そのイメージアップを図ることを目的にスタートさせました。

1990 年には当初の「三井グループ外向けのPR誌」というコンセプトを、グループ各社社員にも三井広報委員会の活動を理解してもらうために「三井グループ内外向けPR誌」に改め、全国の図書館、宿泊施設、病院などやグループ各社に配布し、グループ内外に幅広く親しまれる広報誌を目指しました。(2005 年141 号をもって休刊)

全国各地へ日本を代表する
知性との出会いの場を提供する
『三井シンポジア・トゥモロウ』
(1983~98)

1980年代、首都圏のみならず全国各地の産業や文化が活発になっていく時代潮流の中、三井広報委員会は各地の文化活動を応援していく方針を決め、その具体化を探っていました。そこで、1974年から三井物産が各都市で開催していた地域文化の活性化に貢献する三井教養セミナー「学びの出発」を引き継ぐかたちでさらに内容を充実させ、1983年からは地域社会の主体性と参加性を重視した新しいシンポジウム形式の文化活動『三井シンポジア・トゥモロウ』をスタートさせました。

「三井シンポジア・トゥモロウ」

コンセプトは、“学び・考える” ことに真剣に取り組んでいながら中央の文化に接する機会の少ない全国各地の人たちに、日本を代表する優れた知性との出会いを提供しようというもので、地元の自主性にポイントを置いた地元主導型のセミナー(講演会)として行うところが大きな特徴でした。

しかし、スタート当時は珍しかったこの種のセミナーも、90年代に入ると全国各地で頻繁に行われるようになり、“開拓者”としての役割は終わったとの認識で、1998年3月を最後に終了することになりました。『三井シンポジア・トゥモロウ』は、16年とい長期間にわたって、全国約370ヵ所で開催され、その聴講者の数は延べ13万人以上となりました。

日本の現代文化を海外に紹介する
『クロースアップ・オブ・ジャパン』を
スタート(1983~98)

経済大国として世界経済への日本の影響力が大きくなるにつれて諸外国からの誤解や摩擦が増え、深刻な問題になりつつあった80年代。原因が、相互のコミュニケーション不足とカルチャーギャップにあるのは明らかでした。

世界と日本の相互理解の溝が深まっていく現実を目の当たりにし、孤立感を強めていく日本の状況を憂慮した三井広報委員会では、現代の文化を中心として日本のありのままの姿を世界中の人々に紹介し、そこから日本に対する真の信頼と理解を得ることを目的とした企画を検討しました。それが『クロースアップ・オブ・ジャパン』というかたちになり、1983年にスタートすることになったのです。

「第1回クロースアップ・オブ・ジャパン」 三宅一生 ボディ・ワークス

それまでの日本の紹介といえば、貿易を目的とした商品の展示や古い伝統芸術の紹介がほとんどでしたが、現代の日本の文化が欧米の文化先進国と比べても決して見劣りしないことを示すために日本の多彩な現代文化を紹介することに主眼を置いた、民間として初めての試みとなりました。第1回は1983年9月からサンフランシスコで開催され、以降は毎年、ロンドン、ニューヨーク、ミネアポリス&ロサンゼルス、パリ、シドニー、バンコク、トロント、クアラルンプール、ベルリン、リスボン、アトランタ、サンパウロ&リオ・デ・ジャネイロ、ジャカルタ、ニューデリー、モスクワと、16年にわたって世界18都市で開催し、皇室の方々や各国の重鎮が来場されるなど注目度も高く、毎回熱狂的ともいえる大きな反響を呼びました。

優れた日本文化は世界的にも第一級の文化であることが海外の人々にも理解され、文化によるコミュニケーションの輪が大きく広がりました。『クロースアップ・オブ・ジャパン』は1998年のモスクワを最後に、新たな文化支援活動『三井コラボレーション』に引き継がれることになります。

東京で本格的な国際舞台芸術祭
『三井フェスティバル東京』を
隔年開催(1988~96)

三井広報委員会は、内から外への国際交流として『クロースアップ・オブ・ジャパン』を世界各地で開催しましたが、1988年からは外から内への文化事業として、東京で本格的な国際舞台芸術祭『三井フェスティバル東京』の開催をスタートさせました。

「第1回三井フェスティバル東京」。日本および韓国の演劇のほか、フランスとブラジルのダンス、インドの古典舞踏を紹介

当時、世界各地で舞台芸術のフェスティバルは盛んに行われていましたが、国内ではほとんど実績が無く、国際都市・東京に世界の舞台芸術が集まる祭典がないのはいかにも寂しいということで、東京で初めて国際的な芸術祭を開くことになりました。『三井フェスティバル東京』は、1988年から96年までの隔年に計5回開催し、日本の舞台芸術界に大きな足跡を残しました。

三井広報委員会の20周年を記念し、
『山下洋輔ピアノコンサート』を開催(1992)

1992年は、三井広報委員会が発足してからちょうど20周年、『クロースアップ・オブ・ジャパン』のスタートから10年目に当たる年となり、これを記念して11月に東京・池袋の東京芸術劇場大ホールで『山下洋輔ピアノコンサート』を開催しました。

三井広報委員会20周年記念「山下洋輔ピアノコンサート」

コンサートは『クロースアップ・オブ・ジャパン“トロント1990”』でのコンサートを再現したもので、和太鼓のレナード衛藤氏との二重奏や井上道義氏指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団との協奏「ラプソディー・イン・ブルー」も演奏され、会場を熱気の渦に巻き込みました。

コンサートの後、会場に隣接するホテルで20 周年記念のレセプションを開催し、各界諸氏やマスコミ関係者など約400人が列席。挨拶に立った八尋俊邦三井広報委員会会長(当時)は、「三井グループの文化支援活動を景気の動向などに左右されることなく持続させ充実させていく」と力強く誓い、会場は大きな拍手に包まれました。

これまでの文化支援活動を
さらに進化・発展させた
『三井コラボレーション』
(1998~2004)

三井広報委員会は、これまで『クロースアップ・オブ・ジャパン』や『三井シンポジア・トゥモロウ』などを通じて、海外での現代日本の文化に対する認識を高めるとともに、国内においても人々の文化的関心の高まりに大きく貢献してきました。

しかし、当初は珍しかったこれらの事業スタイルも、年々さまざまな団体が行うようになり、三井広報委員会が“開拓者”として目指した役割は終えたと考えられるようになりました。そこで、1年以上をかけて模索し出した答えが、これまでの事業をさらに進化・発展させた新たな文化支援活動『三井コラボレーション』でした。

「三井コラボレーション」記者発表会(1998年12月)

国内外で活躍するアーティストに交流の場を提供し、コラボレーションを通して新しい日本文化の創造を図るもので、アーティストに自らのテーマに取り組む場を提供して国内外で公開し、さらにそのプロセスや作品をドキュメントとして残し、活用していくことを目的としました。

1998 年のスタート時に主旨に共鳴して参加したアーティストは、ピアニスト・作曲家の国府弘子氏、CGアーティスト原田大三郎氏、アコーディオン奏者coba氏、狂言師の和泉元彌氏、作曲家三木稔氏の5人で、12月の記者発表では各氏より期待と抱負が述べられました。また、八尋俊邦三井広報委員会会長(当時)は「新しいものが定着するまでにはこれから実績を重ねていく必要がある。皆様から忌憚のない助言をいただき、日本文化を支えるために、絶え間ない支援、努力をしていくつもりです」と決意を語りました。

その後2004年まで、国内はもとより、海外における日本との交流行事にて公演を行うなど、いずれも成功をおさめました。

『ふれあいマーケット』など
三井グループとしての
社会貢献活動を開始(1999~2008)

三井広報委員会では、三井グループが積極的に展開すべき活動は文化支援だけにとどまらず、何らかの社会的な貢献も必要ではないかと考え、1999年10月に札幌で開催された『三井コラボレーション』の会場において、グループとしての社会貢献活動をスタートしました。

「ふれあいマーケット」

札幌市には、障がいのある方々がさまざまな商品を作りながら社会参加を目指すネットワーク組織・札幌市小規模作業所連絡協議会があり、その傘下の小規模共同作業所に販売の場を提供し、三井グループ社員がエプロン姿で販売を手伝うことになりました。作業所で心を込めて作られた商品の販売に協力することで、少しでもその認知向上に役立てればとの想いで行った結果、商品に対する好意的な評価とともに、グループ各社社員から、社会貢献の大切さを実感できたとの声が多く寄せられました。

そこで三井広報委員会では、この活動を『ふれあいマーケット』と名付け、その後行われた『三井コラボレーション』の会場にて開催したのち、2003年からスタートする『ふれあいトリオ』事業の一環として、継続的な活動へと展開していきました。

文化・教育・福祉の支援プログラムとして
『ふれあいトリオ』を開始(2003~08)

2003年4月からは新たな事業として『ふれあいトリオ』を開始しました。“教育+文化支援” をコンセプトに全国各地にクラシックの演奏家を派遣し、現地ホールが主催する「ふれあいコンサート」、近隣の小中学校などでミニコンサートと音楽指導を行う「ふれあいプログラム」、そしてコンサートホールのロビーで障がいのある方々の作業所で作られた商品の販売機会を提供する「ふれあいマーケット」、これらを『ふれあいトリオ』の3つの柱として展開。

「ふれあいトリオ」

生の音楽を聴く機会の少ない子どもや高齢者・障がいのある方などに質の高い音楽にふれていただく場を提供するとともに、ヴァイオリンの演奏体験や音楽にあわせて体を動かすボディパーカッションなど、聴衆や開催地域との一体感を生むイベントとして大きな盛り上がりをみせ、2008年の事業終了までに全国各地で約250公演を行い、参加者は延べ約6 万人を数えました。