三井の特集

三井広報委員会
活動紹介パンフレット (5MB)
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世界を変える仕事で会おう。 Mitsui Mirai Meeting 2018

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三井八郎右衞門邸

明治日本の時流を映す三井総領家の大邸宅

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昔ながらの日本家屋が持つ素朴な雰囲気に、どこか瀟洒(しょうしゃ)な空気感がにじむ。三井八郎右衞門邸は、日本文化の歴史と明治時代の流行を端々にちりばめた和洋折衷の邸宅。混沌としながらも新しい時代へと歩み始めた、明治日本の様相をそのまま映し出している。伝統と斬新さが同居する大邸宅に一歩足を踏み入れれば、歴史が薫る異空間に導かれていくようだ。

広大な敷地にあつらえた邸宅

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あたたかな光で迎えてくれる球形の玄関照明

“三井八郎右衞門”とは、三井十一家の総領家である北家の当主が代々襲名してきた特別な名前。現在、「江戸東京たてもの園」に収蔵されている三井八郎右衞門邸は、源流をたどると北家第10代当主・三井高棟(たかみね)が東京市麻布区今井町(現・港区六本木2丁目)に構えた邸宅にさかのぼる。明治36年(1903)から約5年の月日をかけて竣工に至ったこの大邸宅は“今井町邸”と呼ばれ、大豪邸として名を馳せた。敷地面積は約1万3500坪におよび、周辺の役宅まで含めると1万6000坪を超える。邸内には能舞台や庭園、テニスコートなどが設けられ、後に国宝となる茶室「如庵」も移築された。高棟は三井合名発足時に社長として就任し、團琢磨とともに絶頂時の三井財閥を統括した大実業家。今井町邸の様相も、三井家の頂点に君臨した高棟の本邸としてふさわしい存在感を放っていた。

和洋折衷の時流を今に伝える

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壁には大きな櫛をかたどった障子窓がある

時代は昭和期に入り、高棟の隠居とともに、今井町邸は嗣子で北家第11代当主・三井八郎右衞門高公(たかきみ)へと譲られる。しかし、時代の栄華を極めた大邸宅も、第二次世界大戦の戦禍を免れることはできなかった。昭和20年(1945)5月、大空襲に見舞われた今井町邸は、土蔵の一部を残して焼け落ちてしまう。疎開に間に合わなかった美術品や書類も、この時に大部分が失われてしまった。

戦後、GHQの占領施策によって三井財閥は解体を余儀なくされる。焼け落ちた今井町邸の再建に至ったのは昭和27年(1952)のことで、八郎右衞門邸は今井町から麻布笄町(現・港区西麻布3丁目)に移された。この時、高公は邸宅の在りし日の姿を少しでも残すべくさまざまな工夫を凝らす。今井町はもとより、客間と食堂には京都・油小路三井邸奥書院の部材を取り寄せたほか、高棟が隠居後を過ごした神奈川・大磯の城山荘から和室「望海床」を移築した。各地の三井家ゆかりの施設から集められた石材や植物を用い、八郎右衞門邸は“西麻布邸”として、再びよみがえったのである。赤い絨毯にシャンデリアに襖、床の間の前にダイニングテーブルと、時流を贅沢に取り入れた和洋折衷の造りの鮮烈な印象は、今なお色あせることはない。

高公の死後、八郎右衞門邸は東京都江戸東京博物館分館・江戸東京たてもの園に移築、復元された。現在は、収蔵建造物として一般公開されている。時を超えてなお鮮やかな佇まいは、三井財閥の繁栄を今に伝えているのだ。

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    絢爛な和室にはダイニングテーブルが据えられている

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    こもれびの射し込む和室

※上記の内容は2012年1月30日時点の情報です。

(三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.13|2012 Winter より)

■DATA
三井八郎右衞門邸
施設:東京都江戸東京博物館分館 江戸東京たてもの園 西ゾーン
住所:東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
開園時間:4〜9月:9:30〜17:30/10〜3月:9:30〜16:30
※入園は閉園時刻の30分前まで
休園日:毎週月曜日(月曜が祝日または振替休日の場合はその翌日)、年末年始(12月28日〜1月4日)
入園料:一般400円、65歳以上200円他/毎月第3土曜日と、それに連続する日曜日(家族ふれあいの日)は、都内在住で18歳未満の子を同伴する保護者は観覧料が半額。その他団体割引などについてはホームページを参照
ホームページ:http://tatemonoen.jp/