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三井百科

新聞に初めて広告、投書欄を掲載

中上川彦次郎

中上川彦次郎(公益財団法人三井文庫所蔵)

新聞に初めて広告を掲載したほか、投書欄を初めて設けたのは、福沢諭吉の姉・婉(えん)の子供、つまり福沢諭吉の甥であり三井銀行で大改革を断行した中上川彦次郎だった。福沢が費用を負担して留学した英国から帰国後、井上馨に従い工部省、外務省を経て、福沢が創刊した「時事新報」の社長に就任した際のこと。新聞に初めて色の付いた紙を使用したのも中上川である。

その後、鉄道ブームにのって山陽鉄道会社社長に就任すると、反対を押し切って費用のかかる勾配百分の一以内の線路敷設を断行した。後に汽車が急な勾配を上ることができなければ、結局敷設しなおすことになるという判断によるもので、実際に他の鉄道会社は後に莫大な費用を伴う改造を余儀なくされており、その先見性を示すものとなった。また、中上川は「車掌」という言葉も考案している。「車長」では「社長」と読み方が同じになるため用いた「車掌」は今でも使用されている。

井上馨の勧めで入行した三井銀行では、当時学校出が官界、教育界、法曹界に進むのが常識だった中で、多くの学校出を採用した。今でこそ学閥と呼ばれるが、新しい日本をつくっていく過程では、同じ学校で同じ時間を過ごした人間同士の方が会社でも意思の疎通がうまくいくという考えによるもの。自らが時事新報の社長を務めた経験から、高い志を有する新聞記者出身者を多く採用したことでも知られる。

(2014年3月20日更新)