三井の特集

三井広報委員会
活動紹介パンフレット (4.4MB)
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三囲神社

霊験あらたかな言い伝えが残る、三井家の守り神/“浅草から見て、隅田川の向こう側にある―”。墨田区・向島はまさしくその立地から名付けられた地名で、墨東と呼ぶと地域全体を指す。その雅称は古くから親しまれており、永井荷風は『ぼく東綺譚(ぼくとうきだん)』の舞台としてこの地を描いた。社伝によれば、三囲神社が向島に社を構えたのは平安時代初期のことであり、風格あるたたずまいからその歴史の重みが感じられる。

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古くから墨東地域に根ざす、伝統ある神社

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優しい顔をした狐像は「三囲のコンコンさん」として親しまれている

浅草から言問橋を渡ると、そこは隅田川東岸、いわゆる“墨東地域”だ。そのまま隅田川に沿って北上した土手近くに、三囲神社はある。鳥居の前に立つと、張り詰めた空気の中に、澄んだ水のような冷たさが走る。神を祀る場所だけに宿る独特な雰囲気の、粛然とした空気が心地良い。

三囲神社の草創は定かではない。建立されたのは弘法大師の頃、つまり平安時代初期にまでさかのぼると伝えられている。御祭神は宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)で、「宇迦」は穀物を示す。京都・伏見稲荷大社の主祭神でもあり、広く“お稲荷さん”という呼称に掛けて、“三囲稲荷”という別名でも呼ばれている。三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。それというのも、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角に位置したからである。いわゆる、鬼門だったのだ。

また、三囲神社の“囲”の文字には三井の“井”が入っている。そのため、「三囲はすなわち三井に通じ、三井を守る」と考えられた。長く崇敬されてきた歴史があり、今なお三井家とのゆかりは深い。社域の一角には三井11家の当主夫妻、120柱余りの霊が神として祀られている「顕名霊社」がある。没後100年を経た霊だけが祀られる、特別な場所だ。

“三囲”の名に秘められた霊験とは

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三越各店で分霊を祀るなど、三井グループと三囲神社の繋がりは深い。写真は、2009年に閉店した三越池袋店のシンボル・ライオン像

三囲神社の名称は、南北朝時代の伝説に起因する。近江三井寺の僧・源慶がこの地を訪れ、荒れ果てた小堂を発見。それが弘法大師の建立した社だと知った源慶は、直ちに社殿の再建に着手した。社地から発掘された壺から老翁の神像が見つかり、どこからともなく白狐が現れ、その御神体の周囲を三度巡って去っていったという伝説だ。

時代は下り元禄6年(1693年)、江戸は厳しい干ばつに見舞われた。雨乞いを祈願する農民たちに、俳諧の達人・其角(きかく)は「夕立ちや田をみめぐりの神ならば」と詠んだ。この句では“三囲”と“見巡り”が掛け言葉となっていて、神前に奉じた翌日には雨が降り、その霊験は江戸中に広まったと言う。

時代を超えて変わらない存在感が、そこにある

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三囲神社より望む東京スカイツリー

現在、墨東地域は目まぐるしく変貌している。日本中の話題をさらう東京スカイツリーの開業が近づいているのだ。周辺地域では商業施設の建設や街並みの整備が進み、一つ一つの変化は大きなうねりとなり、街は動き始めている。その中でも三囲神社は、時代や街の動きを拒むでもなく飲まれるでもなく、ただそこに在り続ける。時を超越した存在感が、不変の強さを持って三井家を守り続けるのだ。

三囲会

神社の分霊を祀う三囲会

三囲神社は三井グループ各社の守護社としても仰がれている。グループ各社の総務部によって結成された三囲会では、年に3回(1・5・10月)の祭典と4月の大祭を催し、代表が一堂に会して執り行う。三越本店や支店では、神社の分霊を祀っている。

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    厳かな雅楽の演奏

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    参拝する三囲会の皆様

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    順に御神酒をいただく

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    霊祭は粛々と進む

※上記の内容は2011年1月15日時点の情報です。

(三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.9|2011 Winter より)

■DATA
三囲神社
東京都墨田区向島2−5−17

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三囲神社は、「墨田川七福神めぐり」の一社。近隣の多聞寺、弘福寺など七福神を祀る社寺を巡り、御分体をもらいうけて宝船に乗せていくという楽しみが風流だ。