三井の特集

三井広報委員会
活動紹介パンフレット (4.4MB)
イメージ

三井グループ各社の軌跡

Part1 サッポロビール/三井化学/三井造船/三井石油/三井住友銀行

サッポロビール株式会社

大胆な事業経営と改革で日本ビール史の礎を築いてきた

日本のビール文化を生み出し、育ててきたサッポロビール。紆余曲折の道のりを乗り越えてきたから、今がある。

大胆な経営改革が会社を救った

写真

日本初のビヤホール

サッポロビールのルーツの一つは、1887年に設立された日本麦酒醸造会社。“日本一のビール会社”を目標に掲げ、中小の資本家が集まって創業したが、当初は事業の継続が危ぶまれ、相次いで社長交代となる。そのようななか、3代目の社長として桂二郎が就任。後の首相となる桂太郎の実弟だった。1889年の株主名簿には、旧三井物産の副社長・木村正幹、幹部の馬越恭平が名を連ねた。この時、旧三井物産とのつながりが生まれたのである。

設立から3年が過ぎた1890年2月、大きな局面が訪れた。「恵比寿ビール」の発売である。その本格的な味わいに、ビールをよく知る外国人からも絶大な支持を得たものの、販売不振に陥るまでに時間はかからなかった。最善策を模索する首脳陣は、旧三井物産の木村副社長に相談。改めて、馬越恭平を社長として迎え入れることになった。経営再建に乗り出した馬越は、原材料を旧三井物産から購入することで取引安定化を図るなど、徹底した経営合理化を推進。わずか1年で、日本麦酒醸造会社を黒字経営に立て直すことに成功した。馬越はその後も、1899年に日本初のビヤホールを銀座に開店するなど「恵比寿ビール」の拡販に尽力したほか、もう一方のルーツである札幌麦酒、大阪麦酒との3社合併を実現。大日本麦酒株式会社を誕生させ、社長に就任した。こうした功績が称えられ、のちに馬越は“東洋のビール王”と称えられることとなる。

世界に羽ばたくSAPPOROを目指して

1949年、戦後の法改正に伴い、大日本麦酒は「過度経済力集中排除法」の適用を受ける。日本麦酒と朝日麦酒に分社し、その15年後、日本麦酒はサッポロビール株式会社(現・サッポロホールディングス)に改称した。1971年には28年ぶりに「ヱビスビール」を復活させ、現在ではプレミアムビールとして定着している。

また、1984年にはアメリカでサッポロU.S.Aを設立。以来、現地ではアジアビールのトップブランドとして今なお君臨し続けている。2006年にはカナダのスリーマン社を買収。北米で盤石な地位を築く一方で、昨年は成長著しいベトナムに工場を竣工、本格的な販売を開始した。“世界のSAPPORO ”への道のりを、着実な歩みで進み続けているのだ。

略年表

1876 開拓使麦酒醸造所設立
1877 冷製「札幌ビール」発売
1887 日本麦酒醸造会社設立
1889 日本麦酒醸造会社
工場竣工(現・恵比寿ガーデンプレイス)
1890 「恵比寿ビール」発売 (*1)
1906 札幌、日本、大阪麦酒3社が合併
大日本麦酒設立
1949 日本麦酒と朝日麦酒に分社 (*2)
1964 日本麦酒がサッポロビールに改称
1984 サッポロU.S.A設立
1994 恵比寿ガーデンプレイス開業
2003 サッポログループ純粋持ち株会社制へ移行
2010 ヱビスビール記念館オープン (*3)
写真

1

写真

2

写真

3 ヱビスビール記念館

写真

写真で見るCOLUMN

大胆な経営手腕の持主

馬越恭平は、旧三井物産創立時から名を連ねる1人だ。経営不振に陥った日本麦酒醸造をドラスティックな改革で再建させるなど、経営の才覚を惜しげもなく発揮した。さまざまな会社経営に携わったが、日本麦酒の経営に一貫して注力するなど思い入れも強い。晩年には“東洋のビール王”と称えられた。産業資本家最高の名誉とされた日本工業倶楽部会長としての活躍も名高い。

三井化学株式会社

時代の先行く未来を生み出す、化学品事業の歩みと飛躍

石炭化学から石油化学へ――。三井化学の歩みは、日本の化学事業発展の歴史と言い換えても過言ではない。

石炭化学から始まった化学事業

写真

国内最大規模のメガソーラー発電設備イメージ(愛知県田原市)

明治初期、世ではまだ“三井組”という呼称が通っていた。三井組は1874年に神岡鉱山を取得、1889年に大蔵省の三池炭鉱(三池鉱山)の払い下げを受け、石炭化学事業の歴史が始まった。

当時の三池炭鉱には、後に三井合名会社理事長を務める團琢磨が勤務していた。優秀な技術者としての資質を見抜いた旧三井物産の益田孝は、三池炭鉱の落札とともに團を雇用。その判断が当たり、團の活躍によって三池炭鉱は“三井のドル箱”へと成長していった。特に、化学事業の新たな扉を開いたのが石炭副産物の研究で、1912年には日本初のコッパース式コークス炉を本格稼働させ、硫安(りゅうあん)工場も生産を開始した。硫安は三井鉱山が最初に製造した化学製品であり、化学事業の第一歩となるものだった。しかし、販路確保の難しさが否めず、やがては用途開発の研究が合成染料の開発へとつながっていく。

日本初の事業展開が次々と生まれた

1915年、三井鉱山は日本初の合成染料「アリザリン」の生産を開始した。1926年に、「インジゴ」の生産に成功。この快進撃が、石炭事業の副次的事業から化学事業としての独立を図る後押しとなり、三井化学工業設立へとつながる。また、1909年に設立した三井合名会社と三井鉱山は、アンモニア・硫安の企業化を目的とし1933年に東洋高圧工業を設立。三井鉱山の事業を引き受けたり、他社の吸収合併に取り組んでいくなかで、東洋高圧工業には合成アンモニア・硫安・メタノール事業が集約され、日本有数の化学肥料企業に成長していく。

いち早く世界を見据えた事業展開へ

その後も、社会や経済の動きに合わせて事業の集約や合併を繰り返し、三井グループの化学事業は発展を続けてきた。現在の三井化学が発足したのは、1997年のことだ。発足時から掲げてきた合言葉は「市場は世界だ」。これを裏打ちするかのように、積極的な海外展開を現在に至るまで続けてきている。また、最近では、国内最大規模の太陽光発電事業および風力発電事業に参画するなど、中長期的な環境貢献活動にも注力。一世紀にわたり、培ってきた技術をベースとし、今後もさらなる飛躍に向けて、三井化学がその歩みを止めることはない。

略年表

1892 三池炭鉱の石炭を用い三井鉱山がコークス事業を始める (*1)
1912 福岡県・大牟田に日本初となるコッパース式コークス炉を建設
1915 三井鉱山が日本初の合成染料「アリザリン」の生産を開始
1933 東洋高圧工業設立
1941 三井化学工業設立
1955 日本初の総合石油化学会社として三井石油化学工業設立
1962 日本初のポリプロピレンプラント運転開始
1968 東洋高圧工業と三井化学工業が合併
三井東圧化学発足
1996 三井石油化学工業と三井東圧化学が翌年の合併に合意
1997 三井化学発足
写真

1 三池炭鉱

写真

エチレンプラント

写真で見るCOLUMN

大規模なCO2削減に貢献

大阪ガスと協力し、エチレンプラントにおいて世界で初めて大規模にLNG冷熱を利用した省エネルギー化プロセス導入に成功した。エチレンプラントでの大規模なLNG冷熱有効利用が実現したことで、排出されるCO2は年間で約3.8万トンの削減に成功。今後も、環境負荷の低減に貢献していく。

三井造船株式会社

古くから世界と手を組み技術で時代を切り拓いてきた

大正初期から飛躍的に伸びた国内の重化学工業。三井造船も、その一役を担った立役者のうちの1社である。

世界に名だたる船業者として

写真

トランスファークレーン

歴史をひも解くとたどり着くのが、明治時代後半の旧三井物産。1897年に船舶掛が設置され、船舶事務全般を担っていた。門司、神戸と拠点を移しながら事業領域を拡大していき、大正初期を迎える頃には、旧三井物産船舶部は自社船と用船を合わせて128万重量トンを超える船腹を擁する、世界的な不定期船業者として活躍するようになったのである。

その後、船舶部は造船部を設立。岡山県児島郡日比町大字玉地域(現・玉野市)の海岸部・18万6000坪を工業用地として買収し、玉工場の建設に移る。1918年には、旧三井物産が第二次日米船鉄交換契約に加入。造船部にはイースタン・インポーターとイースタン・エクスポーターの2隻が割り当てられた。特に交換船第一船の前者は操業以来の最大船で、進水式が玉工場の工場開きを兼ねて行われたため、玉地方は空前のにぎわいを見せることとなった。

デンマークとの技術提携を開始

昭和初期、デンマークのバーマイスター・アンド・ウェイン社(当時)との技術提携が決まる。既に進められていたディーゼル機関の研究が、非常に良好な成績を収めたことが決め手となった。1937年には旧三井物産から分離独立し、玉造船所が設立。現社名である三井造船へと改称したのは、1942年のことである。

環境に優しい技術開発で未来へ

現在、三井造船は、2011年度中期経営計画「挑戦と進化、そして未来へ」と題し、環境対応型の製品・サービスの提供に注力している。時代の要請を細やかに汲み取り、船舶・機械・プラント・鉄構建設の4事業を主軸とし総合力を活かした中長期的な事業展開を目指す。省エネコンテナクレーンの開発を加速し、省エネ対応製品ラインナップの充実化を図るなど、既に世に送り出している製品も少なくない。世界に展開するグループシナジーを最大限に活かし、社会に役立つ技術開発に挑戦し続ける――その先にこそ、三井造船の思い描く未来が待っているのである。

略年表

1917 旧三井物産の造船部として岡山県児島郡日比町で創業
1926 デンマークのB&W社と船用ディーゼル機関に関して技術提携
1937 旧三井物産から分離独立し、玉造船所を設立
1942 社名を三井造船に改称
1948 日本初の鋼製輸出船「クヌール」(捕鯨船)完成
1962 千葉工場(現・千葉事業所)操業開始
1976 三井B&Wディーゼル機関累計生産1000万馬力を達成
1979 昭島研究所開設
1981 大分事業所操業開始
2010 世界初の天然ガスハイドレート(NGH) (*1)
陸上輸送の実証研究が完了
三井-MAN B&Wディーゼルエンジン単一ブランドでの累計生産、世界初の7000万馬力を達成
写真

1 天然ガスハイドレート

写真で見るCOLUMN

環境にやさしいLNG船を開発

2011年、三井造船はガス焚き低速ディーゼルエンジン「ME-GI」を採用した新型LNG船「ダブル・エコマックス」の開発を完了した。従来と比較し、燃料費・CO2の排出量30%削減を実現している。ガス・重油の2元燃料焚き推進システムにより、燃料価格に応じた経済的メリットの創出にも貢献する。

  • 写真

※ 法的には旧三井物産と現在の三井物産には継続性はなく、全く個別の企業体です。