三井の特集

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三井百科

日本女子ゴルファーの草分け

三井弁蔵・栄子夫妻

三井弁蔵・栄子夫妻

昭和初期に旧三井物産取締役、三井鉱山取締役、三井合名監査役などを歴任した三井本村町家2代の三井弁蔵の妻・栄子(さきこ)は、日本の女子ゴルファーの草分け的存在として、ゴルフ界にその名を残している。

旧岸和田藩主で東京府知事や司法大臣などを務めた岡部長職(ながもと)子爵の娘で大正4年(1915)に弁蔵と結婚した栄子は、結婚後すぐアメリカに赴任した弁蔵に同道。夫と共にアメリカでゴルフに触れ、基礎を学ぶ。大正11年(1922)に帰国すると、東京ゴルフ倶楽部に入会。その後、東京婦人ゴルフ倶楽部の創立に中心的な役割を果たす。

大正15年(1926)から昭和12年(1937)に至るまで、栄子が提唱して開催された婦人ゴルファーの関東・関西対抗戦では常に最高の実力者と呼ばれる活躍をした。当時、女子プロゴルファーはおろか、女子アマチュアの選手権などもなく、東西対抗戦が唯一、女子ゴルファーが競い合う場だった。

こんな逸話も残されている。昭和5年(1930)、アメリカの名ゴルファー、ウォルター・ヘイゲンが日本ゴルフ協会の要請で来日した際のエキシビジョンマッチに乞われて出場した栄子は、東京ゴルフ倶楽部駒沢コースでプレーし、ハーフ36という会心のスコアを叩き出す。ヘーゲンはこれに深く感動し、愛用のクラブを栄子に贈ったという。

栄子はゴルフのみならず、容姿端麗にして書にも優れ、歌も嗜む才女だったという。日本を代表する女子ゴルファーの象徴的存在として、戦前・戦後を通じて日本女子ゴルフ界を牽引し、昭和35年(1960)に設置された日本ゴルフ協会の女子委員会では委員長を務め、女子ゴルフの普及に情熱を傾けた。

娘の小坂旦子(あさこ)、孫娘の小坂道子も日本のトップアマゴルファーで、女子アマチュア選手権で優勝している。

※ 法的には旧三井物産と現在の三井物産には継続性はなく、全く個別の企業体です。

(2017年6月22日更新)