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三井家の由来
 関白太政大臣・藤原道長の六男・長家の5代目といわれる藤原右馬之助信生が近江(現在の滋賀県)に地方官として赴任、土着し、武士となり「三井」姓を名乗ったのが最初です。

 信生から12代目の三井出羽守乗定は男子が無かったため、佐々木源氏一族の佐々木(六角氏と称する)満経から養子を迎え、その養子が三井備中守高久と名乗り、近江の鯰江に居を構えました。高久以降、三井家の人々は、名前に「高」の字を付けています。

 高久以降、三井一族は近江の領主六角氏に仕え続けましたが、5代目の越後守高安の時、天下統一を目指す信長が、上洛のため近江の国に攻め入り、六角氏の諸城を次々攻め落としていきます。三井一族は主筋の六角氏と共に観音寺城に立篭もり信長に抗しますが、いざ篭城戦という時、六角氏とその一族は一夜にして城から逃亡。三井一族も仕方なく逃亡を余儀なくされました。その後、三井一族は津、松坂などを流浪し、最後に高安は、松坂の近くの松ケ島に安住の地を見付け、その地で没したと伝えられています。

 その後、織田から豊臣、徳川と天下人が代わり、戦国時代が終焉に向かった時代、高安の長男の則兵衛高俊は、当時の商業の中心地、松坂で質屋、酒、味噌、醤油を商う店を構えました。これが後の越後屋、そして三越へと続いていったのです。
なお「三井」という姓については、藤原右馬之助信生が自分の領地を視察中、三つの井戸を見付け「三井」という姓を名乗ったといわれていますが、これは俗説でしょう。
三井のマーク
マーク
「丸に井げた三文字」(別称・丸に井筒三)のマークは、三井家の家祖・三井高利(1622-1694)が延宝5年(1677)頃から、越後屋の暖簾として使い始めました。
丸に井ゲタ三は単に三井の字を紋様化したものではなく、丸は天、井ゲタは地、三は人を表し、「天地人」の三方を意味しています。また着想は高利の母・殊法の夢想によると伝えられています。
このマークは今でも三井グループ各社の社章として使用されていますが、それぞれに井ゲタの太さや三の字に微妙な違いがあるのを御存知ですか?
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