維新後の明治5年(1872)には呉服業分離に伴い、両替店を中心とした「
三井組」が成立しました。その後、明治26年(1893)に「
三井家同族会」と「
三井元方」が設置されました。
「三井元方」は「三井家同族会」に付属する事務機構として、全般にわたる事務を統括していました。両機関とも法人格を有さない任意団体で、代表は当時の総領家当主・三井高棟(たかみね)が務めました。明治9年(1876)に三井銀行と旧三井物産が営業を開始したほか、明治25年(1892)には三井鉱山が設立されるなど、事業の幅が広がったことで、事業と私的なものの区別をつける目的があったようです。
「三井家同族会」は現在同名称の組織へ移行していくことになります。三井家同族会の名称は特に外部には公表しませんでしたが、明治39年(1906)に、高棟を代表とする三井11家の私財により、財団法人三井慈善病院(現
三井記念病院)が設立されたことは、世間に広く知れわたりました。