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「越後屋」の新商法
江戸で高利が開いた呉服屋「越後屋」は、数々の新商法により大繁盛しました。
「店先売り」と「現銀(金)掛値なし」
当時、一流の呉服店では、前もって得意先の注文を聞き、後から品物を持参する見世物商いと、直接商品を得意先に持参して売る屋敷売りを専らとしていました。支払いは、盆・暮の節季払いか、年1回の極月払いを習慣としていました。得意先は、大名、武家、大きな商家で、支払いは、6月と12月の二節季払い(にせっきばらい)、または12月のみの極月払い(ごくげつばらい)という掛け売りでした。この方法は、人手も金利もかかるので、当然商品の価格は高く、資金の回転も悪かったのです。
高利は、その逆をいき、店頭での現金取引きを行いました。この方法なら資金も早く回転し、掛け値もしないので、商品を安く売ることが可能です。庶民に喜ばれ、越後屋に人気が集まったのは当然でした。
布の切り売り
高利の新機軸は次々とヒットを放っていきました。「即座に仕立ててこれを渡す」という衣類の仕立てサービスもその一つで、分業によって、短時間で仕上げたのです。また、庶民に大いに喜ばれた商いに「布の切り売り」がありました。どの店も一反を単位として売っていたものを、客の需要に応じて切り売りしたもので、江戸町民の大きな需要を掘り起こしました。
両替店に乗り出し幕府から金銀御用達の地位を得る
呉服に遅れること10年、高利は天和3年(1683)に両替店を開設し、ここでも為替取組みの新しい方法を創案しました。当時、幕府は、近畿以西の直轄領からの年貢米や重要産物を大阪で販売して現金に換え、それを江戸へ現金輸送していました。また、江戸の商人は、京都や大阪で仕人れた商品の代金を、現金で上方へ送っていました。しかし、正貨輸送は労賃がかかるほか、危険の多い不便なものであったため、これに変わる方法として、高利が幕府に為替の仕組みを献策し、当時御側用人だった牧野成貞(常陸国笠間城主)の理解を得て、三井両替店は、幕府の金銀御用達としての地位を得ることになったのです。
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