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三井にまつわる施設
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真如堂は、三井家のプライベートな菩提寺であると同時に、全三井の菩提寺として存在していました。真如堂は、正しい名称を「鈴聲山真正極楽寺真如堂」といい、天台宗の由緒ある寺として知られています。
永観2年(984)に比叡山の僧・戒算上人が一条天皇の生母・東三条院藤原詮子の離宮に、比叡山常行三昧堂の阿弥陀如来を本尊として安置したのが始まり(場所は現在の真如堂の北側)。それから幾多の火事によって本堂焼失を繰り返し、元禄6年(1693)、10年の歳月をかけて現在地に再建されたのでした。
さて、三井家との関係はこの頃からです。ちょうど再建されつつあった真如堂本堂に、
三井高利
(家祖)が参詣し、お付きの人々に、自分の墓所は真如堂にしたいという希望を述べたのだとか。三井家はそれまで別の寺院の檀家だったので、この高利の願いを叶えるため、子息らが両方の寺と話し合い、元禄7年、真如堂一山である学頭山の東陽坊の檀家として迎えられることになりました。本坊は広大な寺領を有しており、檀家を持たなかったのです。明治中期には本坊の檀家となり、今日に至っています。
真如堂
真如堂には屈指の名鐘があります。宝暦9年(1759)に鋳造されたもので、太平洋戦争のさなか砲弾用に強制供出となりましたが、終戦後の昭和21年9月、三田三郎三井造船玉野工場業務部長(当時)の尽力で無事返還されました。
真如堂にある三井の「総墓」
高利夫妻の墓
三井の呉服店と両替店では、勤仕中に亡くなった奉公人の葬儀を各店ごとに執り行い、個人別に墓石を建てていましたが、そのほかに複数の戒名を彫り入れた石塔を建てて供養しました。これが総墓です。真如堂には、それら三井の総墓のうち、最古の亨保6年(1711)建立のものから、最も新しい文久3年(1863)に建てられたものまで、合計8基が現存しています。真如堂は、三井家のプライベートな菩提寺であると同時に、全三井の菩提寺として存在していたわけです。
現代の三井グループと真如堂のお付き合い
最近では、昭和56年10月に三井グループの25社によって、研修道場「真如山荘」が寄進されました。また、平成2年11月、二木会各社の寄進による「三井二木会物故社員追悼・慰霊塔」の開眼法要(竣工式)が行われ、以来、毎年5月に各社物故社員の供養が為されています。
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