今はあまり「慈善」という言葉は使われませんが、健康保険制度もゆきとどいていない時代、医者にかかることが、当時の困窮者にとっては思いもよらないことでした。本来の慈善の意味とは若干異なりますが、生活困窮者に対して医療を施すための病院でした。明治42年3月の開院から同年末まで、10ヵ月の外来患者の実数が残されています。それによりますと、1万人強の外来患者がおります。
この当時は、誰もが診療を受けられませんでした。治療を受けられる条件があったのです。それを次に例示してみます。
- 市内開業医より無資力者として紹介ありたるもの。
- 警察官、慈善団体等により無資力者として紹介ありたるもの
- 本病院において無資力者と認めるもの
となっておりました。まず「無資力者」でなければならなかったのです。
当時のことですから、洋服を着て、革靴を履いている者は、とうてい「無資力者」とは認められませんでした。ところが、診療に当たるのは大学教授をはじめとする名医ばかりです。その診療を受けられるのですから、なんとしても慈善病院で診療を受けたい人もおりました。そのため、古着屋で衣装を貸す業者があって、そこで困窮者の姿に着替えて、病院に行った人もある、という話です。
いうまでもなく、現在はそのような区別は全くなくなっております。診療科目も25科にわたっています。現在の名称「三井記念病院」を名乗るようになったのは、昭和45年4月、社会福祉法人に改められた時からですが、近代的な病院に生まれ代わっております。