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首都ジブチにあるケンピンスキーホテルという、ジブチ共和国初の5つ星ホテルの建設プロジェクトを終えて、帰って来たばかりです。176の客室、1000名収容可能な国際会議場、レストランなどを備えたこのホテルは、ドバイの政府系企業が出資し、日本の大手ゼネコンが建設、ドイツのホテルチェーンが運営するという国際的プロジェクト。新日本空調は大手ゼネコンに依頼されて設備工事一式をマネージメントしました。
ホテル建設が決定したのは2005年8月で、私が赴任したのが同年12月。工事が始まったのは2006年4月頃ですが、11月15、16日にアフリカ10数カ国の大統領が集まる会議がここで開催されることが決まっていたため、なんとしても間に合わせなければならない。失敗は許されないというプレッシャーがあり、最初から最後までひやひやしっぱなしでした。


ジブチは人口約70万人の非常に小さな国で、駐留する仏軍、米軍関連のビジネスと、港と鉄道の運営以外は産業もほとんどなく、現場作業員も物資も海外から調達する必要がありました。そもそもジブチには拠点も事務所もなかったため、私の仕事はスタッフの手配、宿舎、倉庫、加工所の確保からスタート。作業員はスリランカ、インド、バングラディシュなどから600人以上を手配し、物資は主に、シンガポール、スリランカ、ドバイから輸入しました。
日本の企業とは違って、納期と場所を指定して発注しても、1カ月、2カ月遅れはあたりまえ。作業員にも工期という観念があってないようなところがあり、それをコントロールするのが難しかったですね。最初のうちはインフラが整わず、電気がない、水がない、食事が合わないとストライキをおこされたことも。言葉の問題があったので、50人に1名の割合で英語のできるスーパーバイザーを配置し、できるかぎりの対応をしました。
短工期、物資不足、インフラの不備という問題をクリアするために採用したのが、スリランカ事務所でプレハブ加工(*2)をおこない、現場での作業をできるだけ少なくするという工法。超短工期で設計変更も多く、社内にも危惧する声はありましたが、スリランカ事務所との連携が強みとして生かせたと思います。おかげで、通常この規模のホテルなら1年はかかる設備工事を約5カ月で終了。11月の会議になんとか間に合わせることができました。
一番嬉しかったのは、ホテルがオープンしてお客さまが来られた時です。工事中も、電気がついた、空調が効いたと、その時々に達成感はあるのですが、やはりホテルとしてオペレーションできる状態にもっていけた時が一番。1泊300〜400ドルの高級ホテルなので、自分では宿泊していませんが(笑)。


1995年に入社8カ月で香港に赴任して以来、フィリピン、シンガポール、スリランカ、アブダビ、そしてジブチとずっと海外勤務で、英語も仕事も現場で覚えていったという感じです。日本で勤務したいと思ったこともありましたが、会社がなかなか帰してくれないということは、私にしかできないこともあるのかなと。
入社するまで日本しか知らなかったので、考え方はずいぶん変わりました。日本人としてあたり前だと思っていたことが通じない。自分は日本人で、相手はなに人という感覚ではわかりあえない。でも実際つきあってみると、その文化の良いところ、悪いところが見えてくるので、相手の文化を尊重するようになりました。
このあと一旦スリランカ事務所に入り、ジブチのプロジェクトに関する書類を整理してから、シンガポール事務所に入ります。その前に2週間の休暇をとって、上海にいる韓国人の友だちに会いに行ったり、実家に帰ったり。友人に会うのが一番のリフレッシュですね。フィリピン、韓国、UAE、ジブチなど、これまでの赴任先でできた友人とは、今後も長く付き合って行きたいと思っています。
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